「5G(第5世代移動通信システム)」「ブロックチェーン」「量子コンピューター」——。
日々そんなテクノロジーのトレンドを追いかけながら、ビジネス領域で編集者・ライターとして活動している長谷川リョーと申します。
「東京大学大学院にて学際情報学の修士課程を修了し、新卒でリクルートホールディングスに入社。現在は独立し、編集チームを主宰する」
経歴だけをみると、「エリートだ」なんて言われることも少なくありません。
それでも、もうひとつの人生があったとしたら、パラレルワールドで生きる僕は中卒で大工として働いていたんです。確実に。むしろその世界線で人生を歩んでいる確率の方が、断然高かった。
中学3年生の夏前、ある主婦の女性に出会うまでは..….。
“do”と”does”の違いも分からなかった中学3年の夏
中学校の卒業アルバム。勉強はまったくせず、毎日サッカー部で精を出してました
国語3、数学3、社会3、理科3、英語1。
学校の成績はだいたい平均、むしろ少し苦手。小学校時代は野球部、中学に上がるとサッカー部に所属し、ただただスポーツだけを楽しみに毎日過ごしていたように思います。
それもそのはずで、両親をはじめ、親戚のなかで大学まで進学している人がほとんどいません。父方の家系はお爺ちゃん、お父さん、お兄ちゃんがパティシエ。母方は大工と、みんな手に職のある生き方をしています。
両親は活字をまったく読まない人で、本なんか家には一冊もない。その意味で、決して文化資本には恵まれていませんでした。
学年ビリから1位へ。同じ人間のスペックに大差はないと悟る
これは27歳になった今だからこそ言えることですが、大学から大学院へ進学する過程で気づいたことがありました。
「“人間のスペック”に大差はない」。
そもそも生物種として異なるチーターと比べれば走力の差はあるけど、同じ人間同士では、基本の走力に大きな差はない。それでも違いが生じるのは、環境が異なるから。この一点に尽きると思います。
家庭や学校という、幼少期から青年期までに身を置く小宇宙において、思考や価値観、自己肯定感は徐々に根を張り形成される。当然、小中学生当時の自分がこのような客観視、相対化をできていたはずもなく……。
「俺は勉強ができない。親だって、叔父さんだって、兄弟だってそうなんだから」
そんなふうに自分で決めつけた箱の中に収まることで、自己暗示をかけていました。
とりわけ苦手な科目だったのが「英語」。
中学3年生の夏頃まで、”do”と”does”の違いも分かりませんでした。
英語(というか言語一般)は基礎の基礎の文法をおざなりにすると、そこから続いていく発展的な文法や構文など、1mmも頭に入らないし、入りようもありません。
中学1年生から初めて習う英語に対し、初回から数回の授業をまったく聞いておらず、その後の3年間で苦しむことになったと記憶しています。
聞けば、受験において英語は最重要科目。頭を抱えながら、当時の僕が思った進路が二つ。
①名前を書ければ入れる商業高校に進学する
②お爺さんと叔父さんと同じように中卒で大工になる
結果として、どちらの道も進みませんでした。
ここで今回の主題に戻ります。
前述したように中学校の英語の期末試験はいつもビリから数えた方が早い順位でした。しかし、恩師の主婦の方に英語を教えてもらい始めてから、卒業前の最後の期末試験では学年1位に躍り出ることになりました。
勢いそのままに、なんと僕は順天高校の「英語科」に進学することになります。
その1年後にはアメリカに留学し、フロリダ大学に入ると英検1級、TOEIC990満点を取得。
完全に英語の呪縛から解き放たれたのです。
どうやって僕の人生は急旋回し、今の僕が在るのでしょうか?
主婦だった恩師との出会いから人生が急展開
いまでも工事現場を通り過ぎるたび、そこで働いていたかもしれない、もう一人の自分の姿を見ることがあります。
人生はひょんなことから、たった一人の恩師との出会いから、いかようにも針路を変えていく。
僕の人生を変えてくれた戸塚はるみ先生は、母親の友人の犬の散歩仲間だった主婦の方です。
英語が最大のネックとなり、進学を諦めかけていた当時。母親が戸塚先生に頼み込み、受験まで残り1年を切って絶体絶命だった僕に英語を教えてくれることに。
出会いから約10年が経つ今から振り返ると、僕は戸塚先生の英語塾の1期生であり、この出会いをきっかけに生まれた戸塚先生の塾は、地元でも評判の英語塾になっていきます。
サッカー部が終わると毎日のように自転車を漕ぎ、先生のお宅へ。
塾とはいってもそれらしい教室があるわけではなく、戸塚先生のご自宅の机で教えてもらうだけ。
僕の人生の分岐点を辿るべく、今回約10年ぶりに先生の元を訪れることに。今年のはじめに塾の最後の生徒を送り出したばかりだという、あの頃となにも変わらない戸塚先生が温かく迎えてくれました。
帰国子女に敵わないと悟り、すぐさまアメリカへ留学
「リョーくん、おひさしぶり! こうやって再会できてうれしいわ」
「ご無沙汰してます。10年ぶりですかね。先生が僕に英語を教えてくれたことによって人生が大きく変わったので、当時の話を聞きたくなったんです」
「あーそうなの(笑)。英語を教える話をもらったころは受験までの時間も少なかったし、はじめは『無理』ってお断りしたのよね。それでもお母さんがみえて、『なんでも言うことを聞きます』って強くお願いされて」
「そうでしたっけ…。先生に教えてもらえることになったはいいものの、本当に中学1年生で習う初歩の初歩もはじめは分からなかったんです…」
「でも根性はあったわよね。『とりあえずここまで覚えてらっしゃい』というと、次の授業までには必ず覚えてきてた」
「最初はそれこそ本当に気合だけで活用や単語を覚えていったんですが、一通り覚えた頃から、英語そのものが楽しくなっていったんです」
「私、いつも生徒にこう言うの。『英語を勉強だと思ったらつまらないわよ』って。英語ができると、世界がものすごく広がるから。私自身が経験してきたことを生徒に話しながらそう言い続けてきた」
「覚えてます。『英語ができるようになった!』といい気になってた矢先、英語科に入学した僕は、英語がペラペラの帰国子女たちに圧倒されたんです。『このまま勉強だけしてても、絶対にコイツらには敵わない』。そこですぐに先生の言葉を思い出して、留学することにしました」
「それで私がある留学団体を紹介したのよね」
「はい。紹介していただいた団体を通して留学準備を進めつつ、地元のもんじゃ焼き屋でひたすらバイトに明け暮れました。平日は学校終わりの5時間、週末は11時間くらい。わずかな休憩時間で英単語を覚えたりもして。それで無事にアメリカのオハイオ州へ1年間留学することができました」
「それはやっぱり、根性があったから。その先の活躍をみても、私にとってリョーくんは自慢の人なんですよね」
「ありがとうございます。アメリカから帰ってきたらすぐ受験だったので、あまり勉強してなかったんですよ。英語で一点突破できるところしか受けれなくて…それで青山学院大学(青学)の国際政治経済学部に進むことになりました。その報告をしたら、実は先生も青学で」
「そうそう。文学部仏文科」
「そこで、また縁を感じました」
英語学習のコツは一つ。「やるだけ」
「あれだけ英語が苦手だった僕が、1年弱で学年ビリからトップまで一気に登りつめられたのが今でも不思議なんです。もちろん先生の教え方があってこそなんですけど」
「あの頃は私もまだ若かったから、宿題はたくさん出すし、とにかく厳しかった。あと、新しく来た生徒に対しては、親ではなく本人に必ず意志を確認するんです。『私と約束できないならお断り。よーく自分で考えてから決めてちょうだい』って生徒にいうのよね」
「今から振り返ると僕が1期生になりますが、やっぱりその後の生徒も英語はかなり得意になったんでしょうか?」
「1クラス4人以上は採らないようにしているから、塾の生徒数は多くありません。けど、その数人のなかから、地域にある3つの中学のトップが出ていたんです。高校受験の全国模試も、英語だけなら1位の子が何人かいました」
「全国模試の1位はすごいなあ….」
「とにかく基礎から厳しく教え込みましたから。覚えるだけの不規則動詞なんてタコができるくらいに」
「覚えてます! 部活終わりのフラフラなときでも、いただいた活用の表を何度も繰り返し、頭に叩き込んでた記憶があります。とにかくもうがむしゃらに。どんどん英語が分かるようになるにつれ、僕は初めてあることを悟ったんです。自分は頭が悪いのではなく、ただやってこなかっただけなのだと」
「勉強自体をやったことがなかったのね」
「はい。親戚をはじめ周りに大学まで行った人がいなかったこともあると思いますが、自分は馬鹿で勉強ができないと思い込んでいた。だから英語という一つの教科を集中的に学習することで、『やればできる』という当たり前のことに気づいたんです」
「私が発掘してあげたみたいね…(笑)」
「世の中の仕組みというと大袈裟なのですが、人間にはそれほど個体差がないことを悟ったといいますか。能力に有意な優劣はそれほどなく、単に『やるかやらないか』が道を分けることに気がついたんです」
「私の第一目標はとにかく、生徒に英語を好きになってもらうことだけなの」
「本当に先生のおかげですね。だからうちの母親はいつも僕にこう言うんです。『お前はたまたま戸塚先生に出会えたから今の自分がいるだけ。決して他の人を見下したり、天狗になってはいけない』と」
英語科目を学校からなくせば、みんな喋れるようになる
「そもそも、私はずっと文部科学省に言いたいことがあるんです」
「と、いいますと?」
「英語を学校の教科から外せば、みんな話せるようになるんです。読み書きばかりだから、英語ができるようになっても、話せるようにならない。座学に固執するんじゃなくて、もっと楽しめばいい」
「たしかに、難しい日本語の文法用語を持ち込む必要なんてないですよね」
「そもそもが言葉なので、本来はコミュニケーションをするための道具でしかない。英文学が読みたい人は大学で学べばいい。私は英語学習にそういった考えを持っているんです」
「先生がこれまで生徒に英語を教えてきたなかで、伸びる子の特徴はなにかありますか?」
「それは…ないんですよ。どうやったら身に着くかといえば、語学の場合、繰り返しやるしかない。英語は中学1年生からスタートじゃないですか。これが数学だったら、足し算引き算ができない子に、その先は教えられないんですよ」
「はい、はい」
「英語はひらがなを覚えるのと同じで、中1は初歩の初歩から始まるので、やればできるようになる。他の教科の先生だったら、そうはいかないと思います」
「英語だからこそ、だったと」
「ええ。リョーくんと同じように勉強全般が苦手だったある女の子も、英語だけは学年で1番になったことがあったんです。その子が通ってた学校の先生から電話がかかってきて、『私の子供を教えて下さい』ってその先生に頼まれたこともあります(笑)」
「僕も学校の先生が授業の度に、僕が英語ができるようになっている様子に驚嘆してるのが一つのモチベーションでした」
「うちに来た当初はどうしたものかと思ってましたが、本当によく頑張ってくれた成果ですね。私は宿題に関しては必ず『誰にも聞かないでやって』とお願いしていました。その上でできない部分を理解させるために、うちで教えていましたから」
教科書は丸暗記せよ。口に出し、手を動かせば覚える
「『TOEICで満点をとった』と話すと必ず勉強法を尋ねられるのですが、答えはシンプルで。これと決めた参考書一冊がボロボロになるまで、隅から隅まで憶える。そして他の参考書に逃げないことですね。先生に教わっていた当時も『英文法解説』(江川泰一郎著、金子書房)をバイブル的に読み込んでいた記憶があります」
「そうそう、そうね。私も試験のときは、教科書を全部覚えさせるの。それこそが勉強の仕方。全部覚えてるから、試験はとても楽なんです。理科でも社会でも同じ。だって、教科書に1番大事なことが書いてあることがわけですから」
「とても共感します。英検1級も一発で受かったのですが、そのときも単語帳一冊丸暗記しただけです」
「でもそれはリョーくんの記憶力が良いってことですよね」
「いや、あるとき掴んだんですよ」
「読みながら、書きながら、声を出しながら、その瞬間に使えるすべての感覚器官を総動員すると効率よく記憶が定着するコツというか」
「あー、そうですね! それは私もいつも言います。声を出しながら書く」
「その上で、数日後に同じところをまた暗記。3〜4回繰り返すと脳みそに定着してくるので、そのペースを掴めるようになると楽です。なので、英語を身につけるのってとてもシンプルなはずなんですが、意外とみんなやらないですよね」
「『やれること』、それが才能ですね。昔うちにこんな生徒がいました。お父さんが病弱気味で、塾にも行けない。うちだけに通っていて、私の一言一言を全部メモするような子だったんです。NHKのラジオ講座のテキストをとにかく聴き込んで、模擬試験でも満点を取って、日比谷高校(※都立の最難関高校)に入りました」
「厳しい環境でも、ハングリーさでやりきったと。たとえば、この記事を読んだ人はどうやったら“やり始める”ことができますかね?」
「オリンピックなんかを観ていても、はじめに挫折があって、それがバネになってることが多いですよね。リョーくんにしても、勉強ができないコンプレックスみたいなものがあったと思う」
「縁の巡り合わせで戸塚先生に出会うことができた僕はラッキーだったと思いますが…」
「でも今は情報網が溢れているし、勉強したければいくらでもできる環境があると思いますよ。Skype英会話なんてものもあるじゃないですか。『あそこに行ってみたい』、『音楽が好き』とか『映画が好き』とか。きっかけはなんでも興味を持てばやり始められますよ」
他人ではなく、自分と競争する
「さきほど英語ができるためには、『やるだけ』という話をしました。今やってる編集の仕事でも、下のメンバーに『やればできるから』と仕事を振ったり、接したりしがちなのですが、反省するところもあって……」
「だからね、努力できることはあなたの一つの才能なの。でも世の中はそういう人ばかりでは成り立っていないから、それを理解して人を扱わないとダメ」
「本当にそうですね……」
「どんな人にも絶対にいいところがあるはず。そこを伸ばしてあげないと、人はついてこない。『自分と同じようにできるだろう』とすると、絶対に失敗しちゃうわよ」
「ただ、いいところを見つけるのって難しいですよね」
「子育ても同じなのよ。私が娘にずっと言っていたのは、『他人と競争するのではなく、自分自身と競争しなさい』。他人と競争していると敵ばかりできちゃうけど、自分自身と競争していれば、他人を褒めてあげることができる。これから仕事はどうするつもりなの?」
「メンバーも増えてきたので、まずは組織としての下地を育てていきたいですね。個人としてはブレることなく馬主を目指しています(笑)」
「『馬主になりたい』とはずっと言い続けていますね(笑)。私が英語を教えるのは今年で最後になりましたが、リョーくんはどう?」
「英語塾ですか? 僕がやるとスパルタになるからな〜(笑)」
「すごく需要はあると思いますよ」
「ちょっと考えておきます…(笑)」
「まずは馬主になれるように頑張ってくださいね。楽しみにしています」
おわりに
「見えるものしか見えないし、聞こえるものしか聞こえない」ーー。
そんな当たり前のことに想いを巡らせる。
すると、自分が身を置く環境、出会う人や読む本というレンズを通してしか世界を見られないことに「窮屈さ」と同時に、「尊さ」を感じる。
「英語ができない」たったそれだけの理由で、鳶職になりかけていた16歳。
戸塚先生に教えを請い、毎日必死で食らいついていた。
サッカー部の練習が終わる。自転車を漕いで先生の家へ。授業の後は、寝落ちするまで単語と活用を覚える。
そんな毎日を過ごすなか、焦燥が希望に変わっていく感触をたしかに覚えた。英語の勉強を通じて、「やればできること」の意味も知った。
あれから10年の時が経つ。
大学院まで進学できたのも、世界中を旅行できたのも、そして今この仕事をできているのも、すべては先生との出会いに帰着すると確信している。
「俺にはできない」そんな思い込みを打破し、あの一年を走り抜けたからこそ、今日のこの文章を書いている自分がいる。
出会いを機会に変えること、今日の自分が明日の自分をつくること。
それを意識して挑み続けることが、「できる」の意味ではないだろうか。
写真:小林 直溥