こんにちは、ライターの友光だんごです。本日は岡山県倉敷市の「美観地区」に来ています。昔風の街並みが残り、岡山で一、二を争う人気の観光地です。
本日の宿は美観地区の中にあるゲストハウス「有鄰庵」。カフェも併設されており、休日となれば行列ができるほど人気のスポットなんです。
岡山名産のぶどうジュースや名物「しあわせプリン」をお供にチェックインまでの時間を過ごしていたら、ある物を見つけました。
なんだか教科書で見た覚えのある老人の写真です。
「この写真はどなたですか?」
「犬養毅さんですよ」
「イヌカイツヨシ…あ、昔の政治家ですね。しかしなぜここに写真が?」
「うちの代表が犬養毅さんのひ孫なんです」
「なんと!」
皆さんも歴史の教科書で見た記憶があるでしょうか?
日本で初めて「憲法」や「議会」ができる過程で大きな役割を果たし、「憲政の神様」とも称される政治家です。
五・一五事件で政治的に対立していた軍部から襲撃された際に発したとされる
という言葉も有名ですよね。
そのひ孫がここ有鄰庵にいらっしゃるとは、気になります。大政治家の血を引く方は一体どんな風なんでしょう…?
「あ、今ちょうど奥にいるので呼びますよ。ワンさーん」
「ありがとうございます(ワンさん?)」
「どうもー。犬養です」
「予想の10倍くらいフランクな感じの方が!」
こちらは犬養拓(いぬかい・たく)さん。
ゲストハウス&カフェ「有鄰庵」をはじめ、ショップ「美観堂」やスイーツ店「はれもけも」を運営する「株式会社有鄰」の代表を務めています。
彼のルーツについて、今の活動について、詳しくお聞きしてみましょう!
父方だけなく母方も凄かった
「先ほどワンさんと呼ばれていたのは?」
「うちのスタッフからそう呼ばれていて。他にワンコさんと呼ぶ人もいますね」
「ずいぶん仲の良さそうな職場ですね! 犬養さん、ひいおじいさんが犬養毅……あの、今回『犬養さん』がいっぱい出てきてややこしいので、僕もワンコさんと呼んでいいですか?」
「どうぞ」
「優しい。では改めて、ワンコさんのひいおじいさんが犬養毅さんなんですね」
「はい。もちろん会ったことはないんですが、小さい頃に『どうやらうちのひいじいさんは殺されてるらしい』と知り、衝撃を受けました」
「先祖が暗殺されてる人、なかなかいませんよね…」
「とはいえ、あたしの父も母も、自分の家について話す人ではなかったんです。だから母方の大原家のことも、ちゃんと知ったのは最近で」
「大原家とは、もしかしてあの大原美術館の…?」
「はい」
ここで岡山県外の方はピンと来ないと思うので説明を。
「大原美術館」といえば、美観地区に来た観光客が9割がた立ち寄る岡山では超メジャーな観光スポット。なにしろ収蔵されているのはロダン、モネ、ルノワール、ゴーギャン、ピカソなど、巨匠たちの作品が集まっているんです。
「あの美術館、1930年にあたしの母方のひいじいさんが作ったんですよ。地域の女性や子どもがより良く生きるためには、教養を身につけなければいけないと考えたそうで、当時生きてたモネやルノアールの絵を海外から買い付けてきて」
「なんと」
「母方のひいじいさんは大原孫三郎というんですが、クラボウやクラレ(※1)、中国合同銀行(※2)の社長で、病院なんかも倉敷に作りました」
「かなりすごい人では……ちょっと一回家系図で整理させてください」
※1 旧社名はクラボウ=倉敷紡績、クラレ=倉敷絹織。いずれも繊維・化学分野の一大企業
※2 現在の中国銀行。岡山を拠点に広島、香川にも展開する地方銀行
「すごい政治家とすごい実業家の血筋のサラブレッドということですね…!」
「ただ、自分のルーツをちゃんと意識したのはわりと最近だったんです」
自分のルーツを知るということ
「先ほども言ったように、両親は自分の家のことを話さない人たちでした。だから、あたしもいい意味で家のことにはあまり興味がなくて。ただ、30歳をすぎた頃から自分のルーツについて知るのが楽しくなって勉強するようになりました」
「そこで何か、犬養毅さんの印象的な言葉ってありましたか?」
「そうですね…」
「『恕(じょ)』ですかね」
「じょ」
「他人の立場や心情を察して『人を許す』という意味です」
「人を許す。どんな時に犬養毅さんが言った言葉なんですか?」
「ひいじいさんが孫の犬養道子さん(評論家。ワンコさんにとっての伯母)に送った書(しょ)なんです。この道子さんは11歳で五・一五事件の現場に居合わせて、目の前でおじいさんを殺されたんです」
「まだ子どもの頃にそんな…」
「道子さんはおじいさんのことが大好きだったので、大変ショックを受けたようですね。彼女のエッセイに、当時を振り返っての想いが綴られています」
「ちょっと想像がつかないくらいの経験ですよね。その『恕』と犬養毅さんの有名な言葉『話せばわかる』は、どこか似ているように感じます」
「犬養道子さんのエッセイには次のようなエピソードがありますね」
私が知っていたお祖父ちゃまは、理解の人、であった。恕の人、であった。あるとき宮中参入の自動車の戸を思い切り閉めた巡査が、まだそこにかけられていた彼の右手を骨ごと砕いてつぶした。しかしお祖父ちゃまは、何ごともない顔で宮中に入り、何ごともない顔で帰宅した。なに、ちと不注意をしてなと言っただけで、巡査のことはついぞ誰にも言わなかった。
『ある歴史の娘』犬養道子・著(中公文庫)より
「まさに『人を許す』人だ」
「こういうエピソードがたくさんあるんです。自分で言うのもなんですが、あたしも人を見て、相手の立場を考えることが苦ではなくて。だから似てるのかもしれない、と思ったんです」
日本には成熟した大人が少ない
「ワンコさん自身のことをもっと知りたいんですが、元々は岡山にいらしたんですか?」
「あたしは生まれも育ちも東京で、大学を出て広告代理店へ就職したんです。入る前から会社員は合わない気がしてたんですが、12年間勤めて結局、退職しました」
「どんな点が合わなかったんでしょう」
「会社員には自分の行動や発言に責任をとるという意識が乏しい人が多いなと感じていたんです。その理由として、仕事で成果を残しても失敗しても、その後の会社員人生にあまり関係がないことがあります」
「給与がすごく上がったり、首になったりすることもない…」
「はい。本来の仕事とは違う部分でのおかしな評価のされ方もあって、会社員は仕事の本質と無関係な部分が大事にされがちだなと」
「組織というものが強くて、それが個人としての意識や責任感を弱めているというか。ある種の日本人らしさかもしれませんね」
「日本には成熟した人が少ないのかな、と思います」
「犬養毅さんのように『人を許す』ことも、成熟ゆえの余裕がなければ難しいかもしれませんね」
「そうですね。その点、あたしの周りには小さい頃から成熟した大人が多かったような気がします」
「例えばご両親とか?」
「はい。両親は子どもを子ども扱いしない大人でした。子ども連れで食事をするような時も、普通は多少、子どもに寄せた会話になりますよね。でも、両親もその友人たちも、おかまいなしに大人の会話をしていました」
「ワンコさんはそんな時、どうしていたんでしょうか」
「まだちゃんと喋れない頃だったので、大人たちの会話をひたすら聞いていましたね。人の話を聞いて分析する癖は、この頃についたのかもしれません。それと、両親の話でいうともう一つ…」
「小さい頃から両親二人に『私たちはもうすぐ死ぬからね』と言われて育ちました」
「ええええ。子どもにとって『親が死ぬ』のはとてつもない恐怖じゃないですか?」
「小さい頃って親が全てですから、とても怖くて。薄暗い竹やぶで身内が殺される夢を見てうなされたり、夜中に起きて母親に泣きついたりはしょっちゅうでした。その上、『ひいじいさんは殺されたらしい』と知るわけです」
「うわあ」
「大変でしたが、結果的に死をずいぶん早く理解することができたと思います。親の死を受け入れると、ほかで辛いことがあまりなくなるというか」
「受け入れる心が早くに育った分、精神的な成熟も人より早かったでしょうね」
「僕、小中高と男子校で。小学校1年生のときに粗野な男子の同級生たちを見たときは『なんでこいつらこんなに思いやりがないんだ!同じ生き物になりたくない!』と思いました」
「それで一人称も『あたし』になったんですか?」
「いえ、『オラ』『わい』の時期もありました。大学の4年間はずっとメンタル的に重い病気だった彼女の看病をして過ごしたんですが、社会人2年目でその子と別れてから第二次自我の芽生えがありまして。そこから『あたし』になったような気がします」
「(不思議な人だなあ)」
「恕」の精神でできた職場
「話を戻しますね。会社を辞めた後はどうされたんですか?」
「東京で自分の会社を立ち上げました。それと同じ頃に、有鄰庵の創業者から『手伝って欲しい』と声をかけられまして。最初は外部の相談役のような立場でしたが、2016年の夏から僕が株式会社有鄰の代表を勤めています」
「ゲストハウスって社員やアルバイトの人以外に、短期間在籍する『ヘルパー』さんもいますよね。マネジメントの観点でいうと普通の会社より難しそうな気もしますが、心がけていることはありますか?」
※ヘルパー……ゲストハウスの仕事を手伝う代わりに、滞在費が無料になる制度。在籍期間は数週間から、1ヶ月を超える場合も。
「僕の中での優先順位を正直に言うと、社員、アルバイト、ヘルパーの順になります。気づいたことがあれば僕から言うこともありますが、ヘルパーの人に対しては、一番は社員の立場の人が何を与えられるかだと思っています」
「代表である僕は、まず社員に全てを伝える。僕の社員に対する行動が、社員からアルバイト、そしてヘルパーの人への行動となって返っていくと思うんです」
「トップからいきなり全体へ伝えようとするのではなく、順に下ろしていくと」
「ヘルパー制度は気軽に有鄰庵やゲストハウスの仕事を体験してもらうための側面もあって。短期間で深いコミットをヘルパーの人に求めるのは難しいですからね」
「なるほど」
「僕が社員に対して代表としてどんな声をかけるか、人事評価をしっかりできているか……そういうことが、結果として会社全体を作ると思っています。これは有鄰庵に限らず、株式会社有鄰全体で考えていることです」
「そこではやはり、『人を見る』というのがとても大事になってきますね」
「ええ、他の会社を見渡してみても、人をちゃんと見られていないところは多い気がします。うちは『人ありき』ですから、新規事業のアイデアも色々とありますが『その事業に合った人が来たらやる』方式です」
「それだとリクルーティングがとても重要になると思いますが、採用したいと思う人材の見極め方はありますか?」
「あたしの持論ですが、その人がどんな人か、男性は20代後半から『顔に出る』と思います。女性は男性ほど顔には出にくいですが、どちらにしても面接の最初の数十秒で大体わかりますよ」
「それはどんなところを見て…」
「喋り方に加えて顔つき、立ち居振る舞い全てですね。面接であれば、その前のお店に来てスタッフに声をかけて……という一連の流れにすごい情報量が詰まっていますから。その様子で、ある程度カテゴリー分けできるはずです」
「僕のこともこの数十分でめちゃくちゃ分析されてるんでしょうね」
「人の観察はもはや趣味みたいなものですね(笑)。組織のことを考えるのもそうです。だから今は楽しいですね」
今の日本に足りないもの
「死生観と組織の話を繋げると、今の日本ってどんどん寿命が延びてるじゃないですか。だから昔に比べて、知識や財産を下の世代に渡すことが減っているように思うんです。自分を先に考える利己的なおじさんが増えているというか」
「それでいうと、これまで日本の会社員は成長しないことが許されてたと思います。だから『インターネットはわからなくて怖い』なんて言うおじさんがいる」
「極端な例だとエクセルの作業すら若手に頼む、みたいな話も聞きますね…」
「日本のGDPはさらに減っていくでしょうし、老後は不安。そうすると目の前の自分のことに精一杯で、新しいこと、下の世代に目を向けにくくなるのかなと思います」
「おじさんが近所の子どもに竹トンボの作り方を教えて尊敬される、みたいな、若者に何かを教える機会すら減ってるじゃないですか。今はYoutubeを見れば何でもわかっちゃうから。それで異世代間の交流が減っていくのもよくないなと…」
「その流れでいうと、あたしは将来『教育』に取り組みたいと思ってるんです」
「教育ですか?」
「株式会社有鄰の企業理念は『心の豊かな暮らしを作る』です。これからの日本は人も物もお金も、これまでのように多くはない国になっていきます。それでも幸せに生きる道はたくさんある。その一つが『心を豊かにする』だと思っていまして」
「物質ではなく精神的な豊かさを感じる、みたいなことでしょうか」
「ええ、そのためには、幼少期の経験は大切だと思うんです。勉強だけじゃなく、自然の中で体を使って目一杯遊ぶような。3〜12歳くらいまでにいろんなことに興味を持ったり自立する備えができたりしてれば、どんな時代になっても大丈夫なんじゃないかと」
「そんな風に教育に関心を持つようになったきっかけがあったんですか?」
「サラリーマンを12年間やってみて『いきいき働いている人が少なくないか?』と感じたんですよね。日本の村社会的な空気が原因で、決められたレールを踏み外せずに自分の大事なものを自分で決められていない人が多いんじゃないかなと」
「それって先ほどの『成熟』とも繋がりますね。転職がだいぶ一般的になったり働き方が多様化したりしてますけど、みんなが自分でちゃんと考えて行動できてるかというと、まだまだなような」
「なぜ大事なものを自分で決められないかというと、つまるところ根っこは教育だと思うんです。日本を変えようみたいに大それた話じゃないですけどね。『自立』というのもあたしの人生のテーマなので」
「いつか実現するのが楽しみです。最後に一ついいですか。ずっと気になってたんですが、ワンコさんの話すイントネーションって独特ですよね。岡山弁でもないし…。(※『うちのひいおじい⤴︎ちゃん⤵︎』みたいな感じです)」
「これはですね、いろんな方言を喋っていたら混ざってしまって」
「そんなことってあります?」
「なんというか、みんなが同じイントネーションで話すと思うなよ、と」
「相手の反応を見るためにわざと色んな方言を喋っていたらそれで混ざってしまった…?」
「ええ」
「(不思議の底が知れない)」
まとめ
ワンコさんの話を聞けば聞くほど、今の日本にこそ『恕』の考えは必要なのではないか、と感じられてきました。
他人に対する寛容さを持てているか、成熟した大人になれているか……そんなことを考えながら、倉敷を後にしました。
ルーツを辿ることは、答え合わせのようだと思います。見た目ではなく言葉や、思想や、もっと深いところで受け継がれているものがある。そこで見つけたもののなかに、今を生きるヒントが眠っているのかもしれません。
「有鄰庵」はとても居心地のよいゲストハウスなので、岡山へ旅行された際にはぜひ利用してみてください。併設のカフェもおすすめですよ!
ワンコさんの元でいきいきと働くスタッフの皆さんが迎えてくれるはずです。
ゲストハウス&カフェ 有鄰庵
https://yuurin-an.jp/
住所:岡山県倉敷市本町2-15
営業時間:【ゲストハウス】チェックイン=18:30~20:00/チェックアウト=10:00まで 【カフェ】11:00~その日の商品がなくなるまで。※およそ16:00〜17:00に営業終了
電話番号:086-426-1180
定休日:不定休
書いた人:友光だんご
編集者/ライター。1989年岡山生まれ。Huuuu所属。インタビューと犬とビールが好きです。Facebook:友光 哲 / Twitter:@inutekina / 個人ブログ:友光だんご日記 / Mail: dango(a)huuuu.jp
写真:藤原 慶
21歳からカメラとバックパックを持って日本放浪の旅に出る。
全国各地を周りながら撮った写真を路上で販売し生き延びる生活を続け、沢山の出逢いと経験を積む。
現在は東京に落ち着きカメラマンとして活動中。
Instagram : @fujiwara_kei