こんにちは。犬と見せかけてライターの根岸達朗です。
私は今、島根県大田市の大森町という町にいます。なかなか所縁がないと耳にしたことのない土地かもしれません。
実はここ、
世界遺産「石見銀山(いわみぎんざん)」
で栄えた町なんです!
ちなみにこのあたり。
古民家の軒先に腰をかけて、大きなてるてる坊主と可愛い柴犬が脇を固めています。2016年とは思えない、日本的な風景ですよね。
・石見銀山ってどんな場所なの?
・銀山を支えた大森町はどんな町なの?
・大森町で有名な群言堂、他郷阿部家って一体なんなの?
前々から気になっていた上記の疑問を解消すべく、取材に訪れたわけですが…ちょっと複雑なので先に取材直後の興奮を伝えておきますね。
ーー取材直後のやりとりーー
「正直、前知識ゼロで石見銀山の町にやってきたんですけど、銀山やばいですね!現在の日本に繋がるような歴史の道筋が見えてきた感じがあります」
「お、そんなに刺さったんですね」
「島根県奥出雲町のたたら製鉄と新潟県燕三条の鍛冶職人文化を取材しているからかもしれません。この2つの土地は港の交易が盛んだったようですし。ここ一年で出会った点の情報が頭のなかで繋がって、『あ、そういうことかー!』とアハ体験がありました。このゾーンに入ると歴史が急激におもしろくなってきますね…。ロマンがある…。同時におじさん化が進む…」
「うんうん。より土着的な文化の中で隆盛を極めた奥出雲のたたら製鉄と違って、石見銀山は幕府直轄領として代官が支配していた。そこの差がおもしろいですね。自然への影響も考慮し、労働者への配慮も垣間見えるというか」
「そうなんですよ。この大森町が世界遺産に指定された背景は、幕府直轄領に尽きるんじゃないかなぁと。デベロッパー的な俯瞰した視点で、この土地を開発していた。だからこそ町並みが守られて、外的要因の介入が少ない説!」
「強い権力によって支配しないと、守りきれない場所でもあったのかもしれないですよね」
「さらに個人的に拡大解釈すると、石見銀山の莫大な利益があったからこそ、江戸幕府は300年続いたんじゃないか。娯楽文化の育成や幸福度が高かったともいわれる町民の暮らしなんか、その余力(=潤沢な資金)があったからなのかな〜とか妄想が膨らみました」
「なるほど。いろんな説を考えられるのが歴史のおもしろいところです。もちろん莫大な利益が生まれる一方で搾取的な側面もあるんでしょうけど、銀山が日本の発展に寄与したのは間違いないと思います」
ーーここまでーー
仕切り直して本編です
では、進行を元に戻します。「石見銀山」は、戦国時代真っ盛りの16世紀に本格的に開発が進んだ日本を代表する銀鉱山。2007年にユネスコの世界遺産に認定されました。
石見銀山の銀採掘が本格化するのは16世紀。大陸から伝わった銀の精錬技術である「灰吹法」によって、たくさんの銀が抽出できるようになり、それをきっかけに日本は「世界に銀を輸出して利益を得る」シルバーラッシュの時代を迎えます。
銀山を支配していた戦国大名らが主に貿易を行っていたのは、キリスト教の布教と貿易のためにやってきていたポルトガル人。日本にキリスト教や鉄砲をはじめ、洋服や食べ物などの南蛮文化が花開いたのは、この銀を媒介とする貿易がひとつのきっかけだったといわれます。
ちなみに当時の産出量は、世界の銀の3分の1に相当! ポルトガルの古い世界地図には、石見の位置に「銀鉱山王国」という記載もあります。「石見=銀」というイメージが、海を越えて広がっていたんですね。
さて、私が今いる大森町は、そんな銀山で働いていた人たちが「暮らし」を築いたところ。採掘を生業にする人々や、吹大工と呼ばれる職人技術者、銀を求める商人などが行き交い、当時はきっと大いに賑わいをみせたのでしょう。この景観すべてが、世界遺産として保護されている美しい町です。
そこで今回は、この銀の町・大森町の「暮らしと仕事」に着目。アパレルブランド「群言堂」や化粧品ブランド「MeDu」、そして古民家改装の宿「他郷阿部家」を展開する「石見銀山生活文化研究所」の広報担当として働く三浦類さんに話を聞いてみました。
世界遺産の町で暮らしながら働くことってどんな感じなんでしょうか。
「今日はよろしくお願いします。いきなりですが、日本語ラッパーの『鎮座ドープネス』に雰囲気が似ているって言われませんか?」
「言われません」
「そうですか。適当なことを言ってすみません」
前置きが長くなりましたが、始まります。
日本の「美しい暮らし」を大切にする町
「この縁側で対話する感じ、たまりませんね。民家の佇まいといい、町の雰囲気といい、なんだか全体的に現代っぽくないなあと」
「町全体が町並み保存地区になっていますから、昔の建物がたくさん残っているんですよね。私たちのお店である『群言堂』本店の建物も、もともとは築150年の庄屋屋敷だったんですよ」
「築150年ですか。すごい。それを改装して?」
「ええ。1988年に、現在の会長である松場大吉と所長の登美夫妻が廃墟同然だったこの物件を直して、雑貨店を始めました。『美しい日本の暮らしを未来に残したい』というポリシーでものづくりに励んで、今ではオリジナルの洋服や生活雑貨など、さまざまなものを販売しています」
「確かに、どこを見ても美しさがありますよね。お店の佇まいも古い町並みに自然に溶け込んでいてすてきです」
「人が暮らしながら大切に守られてきた町なので、やはり、この景観に調和する美しさというのは大事にしています」
「そういえば、ここに来る途中にもいくつかお店がありましたが、どこのお店も主張が控えめというか、いい意味で、商売気がないですね。観光地にありがちな、ガチャガチャとしたおみやげ屋も見当たりません」
「今大森町には400人くらいが住んでいます。小さなコミュニティですが、みなさん、世界遺産になっているこの町に誇りを持っているんですよ。美しい暮らしをみんなで守っていこうという、町の人たちの芯の部分に共感して、私もこの町で暮らしたいと思いました」
「三浦さんも、町内にお住まいなんですか?」
「はい。古民家を借りて、そこにいる犬の『うさころ』と一緒に暮らしています」
「うさころ。愛嬌のある名前ですね」
「海外勤務になった友人が、私に預けていった犬なんです。その友人に代わって、私がずっと世話をしているんですが、よく脱走して…」
「え、脱走しちゃうんですか」
「まあ、結局いつも、なんだかんだで私のところに戻ってくるんですけどね。うさころが脱走すると、町の人が誰かしら連絡をくれるので」
「小さなコミュニティだから、みんなうさころのことを知っているわけかあ。犬が脱走しても戻ってくる町って、なんかいいですね」
ゆっくり過ごすことでわかる「よさ」
「ところで、観光客は年間どのくらい来るんですか?」
「40万人くらいです。世界遺産登録後の観光ラッシュのときは80万人くらい来ていました」
「80万人。いまは以前の半分くらいになってるわけですか。落ち着いて観光ができる状況になっている、といってもいいのかなあ」
「そうですね。ただ、大森町も含めて、石見銀山の世界遺産はフランスのモンサンミッシェルみたいにわかりやすく象徴的なものがあるわけじゃない。一見地味なんですよね。その歴史を知らないと人によっては『なにもないじゃないか』と思ってしまうかもしれません」
「ああ、歴史を知らないと」
「実際、観光客の滞在時間が短いというのがひとつの課題だったりもします。だからせめて、この町にいらっしゃる方には1泊、できれば数日滞在してもらいたいというのが本音なんです」
「確かに、ゆっくり過ごすことで、そのよさがじわじわと感じられてきそうな町です」
「歴史がわからなくても、この町の静かで、暗い夜を体験してもらうだけでもいいと思います。この町には『なにもない』ではなく『なにかある』と、それぞれの心のなかで感じてもらえたらうれしいですね」
流れを生み出す「宿」の役割
「今、町内に宿はどのくらいあるんですか?」
「大森町にはふたつあります。そのひとつが、私たちの会社が運営している『他郷阿部家(たきょうあべけ)』という宿です」
「たきょうあべけ? 意味が気になります」
「『他郷』は『もうひとつの故郷、不思議の縁』という意味ですね。阿部さんという石見銀山の地役人の一族が住んでいた築230年の武家屋敷を10年以上かけて再生し、宿にしています。『群言堂』のデザイナーでもある所長の松場登美が実際に暮らしている家です。ちょっとご覧になりますか?」
「おお、ぜひ!」
「すてきな雰囲気の宿ですねえ。特にこの厨房。ジブリアニメに出てきそう!」
「道具類を収納しないで見せるという工夫をしていますね。また、古いものを大切に、美しく使うというのがポリシーなので、椅子やテーブル、調理台なども、廃材を再利用してつくっているんですよ」
「書斎ルームも雰囲気がありますね。民俗学のおもしろそうな本がたくさん並んでいるので、編集長が仕事そっちのけで読みふけっています」
「外国人のお客さんも来られるんですが、この部屋の本棚を目当てに来られて、一日中、この部屋で本を読みながら過ごしている方もいらっしゃいました。連泊をして、ここで論文を書き上げた方もいますよ」
「長期滞在したくなる気持ち、わかるなあ。人気なんじゃないですか?」
「時期によっては予約が取りづらいこともありますが、基本的に予約が取れない宿ではありません」
「そうなんですね。でも、宿がここを含めてふたつしかないということは、どちらかの宿に泊まれなかったら、大森町には長居できないということに?」
「今のところはそうなります。なので、私はこの宿以外にも、手頃な値段で泊まれるゲストハウスがあったらいいなと」
「おお、ゲストハウス」
「夜にお酒が飲めるようなお店もありませんから、バーが付いているような。需要もあると思いますし、それができたら、この町にも新しい人の流れが生まれるんじゃないですかね」
仕事と暮らしが溶け合う町で
「新しい人の流れ、大事ですよね」
「そうですね。実は『群言堂』というのは、たくさんの人が意見を出し合って、いい流れを生みだすという中国の言葉に由来しています。反対に、一人の意見だけでものごとを進めていくのは『一言堂』といいます」
「ほー」
「私は、この町で何かやりたいという人が、新しい流れを生みだしてくれたらいいなと。もともとこの町は銀山を中心にして、人の出入りもかなり多かったところ。外からやってくる人に対しても大らかに受け止める土地柄なので、新しい流れはいつでもウェルカムですよ」
「そういえば、三浦さんも移住者なんですよね?」
「はい。学生時代に今の会社のインターンとして、東京からこの町に来ました。そのときにびっくりしたのが、町の人たちが、私みたいな見ず知らずの若者にきさくに声をかけてくれたことです。海に行こうとか、温泉に行こうとか、ことあるごとにいろんなレジャーに誘ってくれまして」
「いいですね。都会の町に引っ越してもそういう付き合いって、なかなか生まれないですよね」
「驚きましたね。私はそれまで東京に住んで、普通に就職活動をしていたので、そのときの経験がすごく印象的で。世代を超えたご近所づきあいをさせてもらうなかで、この町で暮らしながら働いてみたいと思うようになったんです」
「暮らしながら働くっていいなあ。生活の場が変われば、考え方も変わっていきそうな」
「ええ。少なくとも私は東京から大森町にきて、自分の価値観が大きく変わりました。今はこの町で、暮らしと仕事の境目がないような、暮らしと仕事が溶け合うような、そんな毎日を送ることができているのはとても幸せですね」
まとめ
歴史があり、豊かな自然があり、小さくても温かいコミュニティがある大森町。人と人の関係が希薄になっている今の時代にあって、「暮らしを大切にする」という、シンプルだけど地に足のついたポリシーによって土地の人たちがつながっているのは、この町の大きな魅力であり、強さでもあるのだろうと感じました。
そんな大森町に暮らしながら働いている三浦さんですが、実は知る人ぞ知るローカルマガジンの編集長。大森町の暮らしを伝える、その名も「三浦編集長」は、地域の魅力とともに、三浦さんの愛嬌のある人柄が、文章と写真からにじみ出てくるとてもすてきな冊子です。
「群言堂」の店舗で配布しているほか、オンラインストアで商品を購入するともれなく付いてくるので、機会があればぜひ読んでみてくださいね。
三浦編集長 - 読み物 | 石見銀山生活文化研究所|群言堂・MeDuオンラインストア
おじさんたちの旅は、まだ続きます。
Photo by ayumi yagi
<協力>
▼ベッカライ コンディトライ ヒダカ
住所:島根県大田市大森町ハ90-1
電話番号:0854-89-0500
営業時間:10時~17時(水木定休)
HP:Facebookページ
▼他郷阿部家
住所:〒694-0305 島根県大田市大森町ハ159-1
電話番号:0854-89-0022
料金:お一人様25,900円(税込)/9名様以上の団体の場合は19,400円(税込)
HP:予約ページ
書いた人:根岸達朗
ライター。発酵おじさん。ニュータウンで子育てしながら、毎日ぬか床ひっくり返してます。メール:negishi.tatsuro@gmail.com、Twitter ID:@onceagain74/Facebook:根岸達朗