バーグハンバーグバーグ代表・シモダテツヤが、自分と同じ“社長”に話を聞きに行くこの企画、今回は明和電機の代表取締役社長・土佐信道さん。あるイベントでご一緒した時に、その圧倒的なライブパフォーマンスに魅せられて以来、じっくりお話ししたいと思っていた人物です。
クリエイターとして、そして社長としての持論を伺ってきました!
土佐信道
1967年兵庫県生まれ
アートユニット「明和電機」代表取締役社長。 既成の芸術の枠にとらわれることなく、展覧会やライブパフォーマンスはもちろん、製品をおもちゃや電気製品に落とし込んでの大量流通など、新しいアーティストの形を示し続けている。
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インタビュアー:シモダテツヤ
1981年京都生まれ。
Webクリエイター。バーグハンバーグバーグ代表取締役社長。 代表作は「イケてるしヤバい男 長島からのお知らせ」「インド人完全無視カレー」「分かりすぎて困る! 頭の悪い人向けの保険入門」など。著書に『日本一「ふざけた」会社の - ギリギリセーフな仕事術』がある。
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インタビューのために待ち合わせしたのは、土佐さんが17年間も居を構える武蔵小山。駅前が再開発され、裏路地が一変する予定とのこと。シモダも以前はよく通っていた町ということで、懐かしさから、まずは周辺を案内してもらうことにしました。
懐かしい昭和感をテーマパークにできないか
「お久しぶりです。土佐さんとはイート金沢(石川県金沢市が開催しているアートとクリエイターの祭典)以来ですね。今日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「土佐さんにはクリティブや社長論について話を伺おうと思ってるんですが、その前に、一緒に武蔵小山の駅前を歩いてみたいんです」
「はいはい。僕は武蔵小山に17年もアトリエを構えてますから、馴染みの町ですよ。シモダさんはこちらに来たことあるんですか?」
「昔はこのあたりに友人が住んでてよく飲んでました。もう何年ぶりかなぁ。駅前が再開発されると聞いて、今のうちに懐かしい町を歩きたくなったんです」
「駅前なんてすごく小奇麗になってるでしょう? でも一歩路地に入ると…」
「味のある光景ですね~! こういった昔っぽい町並み大好きです」
「このあたりはよく飲んだお店ばかりですから、思い出深いですよ。今はもう閉めちゃった店も多いけど」
「17年も居たら全部の店に思い出があるんじゃないですか」
「そうですね。例えばこんなカウンターで飲んでた時、隣に座ってた見知らぬおじさんが携帯を落としたことがあったんです。そしたらイスの真下にあった排水溝に携帯が入ってしまって」
「ボチャッといっちゃったんですか」
「幸い水はなかったんですけど、手が入らなくて携帯が取れない。仕方ないから『僕バール持ってますけど、作業場から持ってきましょうか』と」
「人生で『僕バール持ってます』って言う機会ってそうそうないですよね。で取りに行ったんですか?」
「行きましたよ! 排水溝のすき間からバールを入れて、無事取り出せた時は店中から拍手ですよ!おじさんも赤ら顔で『ありがとうねー!』って」
「あったかい話だなあ」
「この雰囲気って僕という人間や明和電機の製品にも影響を与えてると思うんです」
※明和電機では作品のことを製品と呼びます
「土佐さんが作る製品って、スマートで効率が良いっていうよりは、ユーモアがあっておもしろいものが多いですよね。環境って絶対に作るものに影響を与えると思います」
「価値がある区画ということで、国が保存してくれないかな。日光江戸村みたいな感じで、テーマパークにしたら良いと思いますね」
「なんかこのあたり歩いてたら無性に飲みたくなってきますね。せっかくだから飲みながら話しませんか?」
「良いですね~!行きましょう!安い店あるんで!」
子供の頃から自由だったから、表現することに恐怖がない
「武蔵小山らしい店ですね~。しかも安い! 刺身が150円ってお得すぎるでしょ」
「活気があって、安くてうまい。飲むには最高の町です」
「土佐さんって子供の頃はどういう環境で育ったんですか?」
「うちの父親は工場をやっていて、発明家でもあったし、新しいものが好きだったんですね。だからテレビも見放題だったし、楽器もあったし、娯楽には事欠かなかったですね」
「羨ましいなあ。お父さんのやっていた工場が、ユニット名の由来である『明和電機』でしたっけ」
「そうです。ただ父の工場は小学校の時に倒産して。貧乏ではあったけど、中学時代はブラスバンド部に入って練習して、帰ったら趣味でシンセサイザーを演奏して、と音楽にのめりこみました」
「その頃からもう音楽をやっていたんですね」
「両親が文化的なことにすごく理解があったので、音楽を聞いたり演奏したりということは子供の頃から当たり前だったんですよ。表現することに対して恐怖を感じたことがないんです」
「恐怖ってクリエイティブに制限を設けてしまいますよね。純度を下げるというか。残念ながら僕は失敗したらどうしようと思って予防策を作ってしまうタイプなので、土佐さんが羨ましいですよ」
「シモダさんはどういう子供時代だったんですか?」
「祖父が警察官で父が消防士だったので、めちゃめちゃ厳しかったですよ。悪さをしたらすぐにゲンコツが飛んできたし」
「そんな厳格な家だからこそ、反抗としておもしろいことをやるようになったのかな」
「厳格の度を越えてましたけどね。子供の頃に犬を飼おうってことになった時のことなんて、今でも憶えてますよ。父は柴犬を買うつもりだったんですが、僕は柴犬なんていやだ!と反対してたんです」
「ゲンコツが飛んで来たんですか」
「そうなんですよ!もう鼻の形が変わるくらい本気で殴られて。ボロボロの姿で柴犬を抱えて帰りましたよ」
「(笑)なんてかわいそうな絵だ」
「娯楽にも厳しくて、クラス全員がファミコンを持ってたんですけど、僕だけは買ってもらえなかったんです。でもどうしても家でゲームがやりたいんですよ」
「子供の頃のファミコンなんて喉から手が出るほど欲しいですよね」
「仕方ないからおもちゃのブロックでファミコンとテレビを作って、昼間に友達の家でやったゲームを思い出しながら、目を閉じて空想のゲームをやるんですよ」
「昔の映画でよくあった、ショーウインドウ越しにトランペットを見つめる黒人少年じゃないですか」
「でも、あの頃の考え方が今、企画を作る時に役立ってる。だから今にしてみれば良かったなと思ってます」
うんちの話から独自のクリエイティブ論に…
「海でうんちしたことあります?」
「急に何なんですか」
「いやこの刺し身を見てたら思い出したんです。昔、周りに何もないような海で泳いでる時に、どうしても我慢できなくなって、仕方なく海の中でしたんですね。トイレも無いようなところだったから」
「どんな感じだったんですか」
「宇宙だーーっ!と思いましたね。出した端から魚が集まってきてうんちを食べてるんですよね。これが生命の循環、地球の…」
「今インタビュー中だってこと憶えてますよね?」
「(笑)ちょっと忘れてました。でも僕が言いたいのは、トイレでうんちしたら、紙で拭いてトイレに流して、下水処理場へ…となりますよね? すごく無駄な工程が増えるんです。海ならうんちは自然が跡形もなく片付けてくれる。すごいと思いません?」
「土佐さんて“いらんこと”をよく考えてらっしゃいますよね。それが明和電機の発明に繋がってるんでしょうね」
「確かに。普通は見過ごすような“いらんこと”をいつまでも考えてる。これってどうなってるんだろうとか、ここをこうしたらどうなるんだろう、なんて。考えてる内に実際に作りたくなるっていうのはあります」
「うんちの話から思わぬクリエイティブ論になりましたね。僕も昔、森の中で仕方なくうんちしたことがあります。肥料になるだろうと思ってたんですが…人のうんちってそのままだと植物を枯らすらしいんですよ。一回発酵させなきゃいけないんですって」
「それは…どんなクリエイティブに繋がってるんですか?」
「野糞をどこでするかっていうだけの話です。地上ムズい、これが結論です」
「最近テレビに出ることもあるって聞きましたけど、うんちの話とかしてていいんですか」
「急に現実的な話しないでくださいよ…。そういえば、テレビの先輩として土佐さんに聞きたいことがあったんですけど」
「なんですか?」
「テレビに出てると、自分はキャラクターが弱いんじゃないか…ってすごく思うんです。だから土佐さんが着てる作業着がすごく羨ましいんですよ。あれは最初から考えがあって着てるんですよね?」
「あぁ~、これは確かにキャラを立てるために着てるとこありますね。まあやってることがどういうものなのか見た目でわかりやすいし」
「僕もまずは衣装を目立たせてみようと思って、悩んだ挙句、スーツに柴(しば)を背負ったりしました。ただ、買ったばかりのスーツの背中がジャバジャバになってしまったので、今は倉庫に置いてあります」
「最初はですます口調で喋ろうとか表情を崩さないとか色々考えてたんですけど、結局その人なりのキャラクターができてくると思いますよ。無理に作ると絶対ほころびが出てきますから」
明和電機の社長って、ほんとに社長なの?
「土佐さんって明和電機の取締役社長という肩書じゃないですか。実際のところ、いわゆる社長業っていうのはなさってるんですか?例えば社員を育てたり評価したり」
「社長っぽいことはやってるんですよ。プロジェクトの指揮を取ったりね。振り込みだってちゃんとやってます」
「技術の要る仕事ですから、工員さんもベテランの方ばかりなんでしょうね」
「いえいえ、うちは工員が三年で入れ替わるんです。ていうか三年で辞めるぐらい独立心の強い人じゃないと最初から雇わないです。そういう人の方が面白いでしょ。安定を求める人間だと飽きてきちゃうから」
「へー! 僕はその逆です。ずっと同じ人たちと仕事したい。歳をとって、最後には閉鎖的な村みたいになってもいいから、なんとか人生逃げ切れたらいいかなと思ってます。そのためには稼がなきゃいけないですけど」
「そうですね、食べていくっていうのを考えるのは社長の一番大事な仕事ですね」
「明和電機として、いつくらいから『これで食べていけるな』と思ったんですか?」
「1993年にデビューしたんですけど、食べていけるようになったのは2000年かな。明和電機って、1個の製品を作るのに開発費がすごくかかるんです。なんせCDを出す時だって、楽器を作るところから始まりますから」
「ああ~!そうですよね。製品を作るための機械だって買わなきゃいけないし」
「そのせいでお金が入っても、そのお金でまた次の製品を作って、という感じで、一向に儲からなかった。CDを出した時は初回1万枚売ったんですけど、全部開発費に回しました」
「1万枚売れて、入ってきたお金を全部つぎ込んだんですか!」
「どんなアーティストでも作品を作るにはお金が必要ですが、僕は何もかも自分でやりたくなっちゃう性格だから。楽器や製品が揃うまでは本当に儲からなかった」
「食べられるようになったのは2000年からということですが、その年には何があったんですか?」
「おもちゃを作り始めたんです。おもちゃが製品化されることでやっと余裕が出てきて。さらに海外のメディアアートの祭典で準グランプリを取ったのがきっかけで、海外展開が始まったんですね」
「明和電機が作るものは世界中どこでも通じますよね。いや、世界中どこでも通じないと言うべきなんですかね。どこの国でも同じように『なんだこれは』って言われそう」
「まさにそんな感じでしたね(笑)。その頃には製品も貯まってきたので国内外で展覧会を回せるようになった」
「そういった収益のモデルは最初から考えてたんですか?」
「もちろん最初からです。製品を色々なメディアに落とし込んで商品にすることで、活動のための収益を得るという計画をたててました。まあ計画が実った時には、三十代後半になってましたけどね」
「7年間も儲からない時期があったのに、よく続けようと思いましたね」
「好きでやってることだからっていうのもあるけど、続けるってすごく大事だと思いますよ」
「そうですよね。僕も振り返ってみると、1年に一回はおもしろいことが起きてるんですよ。ということは5年だと5回はおもしろいことが起きてるってことで、そのチャンスを活かすには続けるしかない」
「続けて積み上がって、初めて見えることもあるから」
「土佐さんが言うと説得力ありますね~。10年後20年後もおもしろい製品を作っていてください! 」
「あと外でうんちするなら地上じゃなくて、海」
「その話はもういいです。今日はありがとうございました」
「ありがとうございました」
武蔵小山の明和電機アトリエにて
第一線で活躍してるアーティストに、クリエイティブ論を語ってほしいと思っていたのですが、実際にお会いした土佐さんは語るまでもなく全身クリエイティブのかたまり!
楽器を自作し、アトリエの棚や階段を自作し、雑談している最中にも「これをこうしたらおもしろい」というアイデアが溢れ出てくる人でした。
こんなにすごい人なのに常にユーモアを忘れない人間性は、きっと居心地の良い武蔵小山の環境が影響を与えているのでしょう。
(ライター:ギャラクシー)