こんにちは〜! ライターの吉野です。
突然ですが、みなさんは以前、下北沢駅に貼られていた、この文字を見たことはありませんか?
一見「ゴシック体かな?」と思ったのですが、ちょっと違う。淡白なデザインなんだけど、ずっと見ているとなぜか温かな気持ちになれる不思議な書体……。
この文字を間近で見てみると、人の手によってガムテープらしきものを切り貼りして作られていました。気になって調べてみると、この文字は「修悦体(しゅうえつたい)」と呼ばれていることが判明したんです。
修悦体というのは、「2004年にJR新宿駅に警備員として勤めていた佐藤修悦さんが業務のために考案した、ガムテープとカッターを使って作り出した書体」。ネット上でも、過去の作品の一覧がたくさん紹介されています。
その後は冒頭の写真のように、新宿以外の駅の案内板だけではなく、映画のタイトルに使われたり、ガチャガチャのマスコットにまでなったりしているんです……! すごく幅広い!
修悦体のことがずっと気になっていた私は先日、佐藤さんと連絡を取ってみました。すると、現在もアルバイトとして警備会社に勤めており、現役だと言うことが発覚!
色々とお話を聞いてみると、佐藤さんは今まで様々な仕事を経験して来たそうで。こちらがその一部。
・銀行員
・「喫茶室ルノアール」のウェイター
・町の水道屋さん
・ラーメン屋さんのスタッフ
……そう、佐藤さんはまさに「アルバイトマスター」だったんです。そして、修悦体はそんな数々の仕事を経験してきた佐藤さんの「気配り」があったからこそ生まれてきたもの。そんな修悦体が社会に広まっているのってすごくないですか?
そこで今回は、修悦体の原点とも言える「警備員の仕事」や、修悦体の未来について聞いてみることにしました。
話を聞いた人:佐藤修悦さん
岩手県花巻市出身。2003年にJR新宿駅の工事現場で警備員として勤務する傍ら、ガムテープを使った案内標識「修悦体」を作り始め、インターネットなどで話題に。今も現役で警備員として働き続けている。最近、息子さんとYouTubeチャンネル「修悦体【ガムテ文字】 – YouTube」を開始。
水道屋やラーメン屋まで!? 多種多様なアルバイトを経験
「佐藤さんは警備員になる前、どんな仕事をしていたのですか?」
「最初は銀行員を3年間やって、それから『喫茶室ルノアール』に22年勤めました。ルノアール時代には社内報を手書きで作っていたこともありましたよ。何度か独立のチャンスがあったんですけど、タイミングが合わず辞めてしまいました」
「ルノアールを辞めた後、すぐに警備員として働き始めたんですか?」
「いや、いくつかアルバイトを転々としました。都内で町の水道屋さんをやったり、ラーメン屋を経験したりして。その後、1999年に三和警備保障株式会社で警備員のアルバイトを始めました」
「警備員の仕事を選んだのはどうしてでしょう?」
「警備員の仕事って昼でも夜でも自分の都合に合わせてシフトが組めるので、働き方が自由に選べるのがよかったんですよ。警備会社の雇用形態はほとんどアルバイトなので、次の仕事までの繋ぎにもなると思って。だけど、いつの間にか警備員が本職になって、気付けばもう25年目ですね」
「へ〜! さっき『今日は夜勤明けなんですよ』とおっしゃっていたのですが、今は夜勤を担当されているのですか?」
「はい。今は週4〜6日で夜勤バイトをしています。今日は朝の5時に仕事を終えて、3時間仮眠をとってから来ました。何か依頼があって制作する時も仮眠をとってから制作するパターンが多いんですよ。毎日3時間睡眠なんですけど全然へっちゃらです(笑)」
「御年70歳とは思えないパワフルさだ……」
警備員は縁の下の力持ち
修悦体に使うガムテープの数々
「警備員さんって主に道路などで工事があった時に、誘導してくれる人をイメージするのですが、他にどんな業務があるのか気になります」
「そうですね。多分みんな知っているのは、テレビや映画でお馴染みの『身辺警備』や、お祭りやイベントなど多くの人が集まる場所での事故の発生を防ぐ『雑踏(ざっとう)警備』、あとは『交通警備』ではないでしょうか。他にも、現金や美術品などを輸送する『運搬警備』。オフィスの入退管理や商業施設、空港の保安検査などを行う『保安施設警備』もありますよ」
「あれっ、駅構内の警備をしている佐藤さんはどこに分類されるのですか?」
「私の場合は『鉄道の交通警備』ですね。駅構内やプラットホームでの誘導だったり、鉄道の工事で使用する重機が列車や作業員さんと接触しないための見張りや誘導をしています」
「たまにテレビで電車の大規模工事の様子を見るんですけど、鉄道工事って終電後から始まって始発の時間までに終わらないといけないから、大変なんですよね……」
「はい。だいたい深夜1〜4時の3時間で駅や線路に持ち込む工事車両や資材の準備、片付けまでを行って、始発時には元通りにしないといけないんです。些細なミスが重大な事故につながるので、現場は緊張感マックスですよ(笑)」
「想像以上にピリピリした現場なんだなあ…..」
「大規模な工事の時は入念なリハーサルを実施することもあるほど、絶対に失敗できない現場。だけどその分、限られた時間の中で作業をやり終えた時は、何とも言えない達成感を味わうことができるんですよ」
「あの、駅の警備員の仕事って通勤で急いでいるお客さんから怒られたりすることもあるんじゃ……?」
「時にはそういうこともありますね。でも、お客さんよりも怖いのは、生死に関わる事故の方。警備員の仕事は、最前線に立ってはいるけれども陰日向となって働くことなので、もしかすると現場での『縁の下の力持ち』かもしれないですね」
「そんな大変な環境の中で、いつ修悦体を作られていたんですか?」
「普段は夜勤が終わってから事務所で仮眠して、昼前に起きて夜勤の出勤までの時間で作っています。以前は、警備の仕事の休憩はもちろん、仕事帰りにもやっていました」
「勤務後にもやられていたとは…..」
「新宿駅で乗客の誘導をしていた時に『こちらです!』と大声で叫ぶよりも、目立つ文字にして描いておいた方が早く伝わるんじゃないかなと思って。それで気が付いたら、足元に転がっていたガムテープを無意識に手にして、案内板を描き始めた自分がいたんです」
「最初は無断でやっていたんですか?」
「『怒られたら剥がせばいいや』というノリで、工事の監督に許可ももらわずやってました。どうしてかって、自分が警備員として働いていたからこそ気づけることがあって」
「というと?」
「監督さんたちは工事の対応で忙しく、駅の中にいても『ここに案内板があった方がいいな』と思うまで中々時間が持てないんですよ。その点、警備員は毎日駅を巡回をしたり、お客さんから構内について質問されたりするので、お客さん側の視点に立てたんです」
「だから案内を描いちゃおう、と! 駅の警備員という現場体験があったからこそ、修悦体が生まれたんですね」
「駅の警備員はいろんなことを聞かれるんです。今は無くなりましたが、以前お客さんから『今月の新宿コマ劇場は島倉千代子が出演してますか?』って聞かれたことがあって。また同じことが聞かれても焦らないように勤務後、コマ劇場まで予定表を見に行ったこともあります(笑)」
「そこまでされてたとは!」
「まあ、やっぱり外に出て働くことが好きなんですよね。だから今も警備員を続けていますし、体が動く限りは頑張りたいですよ」
「後継者はいない」佐藤さんが考える修悦体の未来
「映画のタイトル文字に採用されるなど、修悦体が世の中に広がっていますよね。ご自身はどんな風に感じましたか?」
「そもそも修悦体は駅を利用するお客さんのために作ったもの。だから工事が終わると、案内板は無造作に剥がされてなくなるものだと思っていたんです。なのに、こんなに注目されて、正直『俺が死んでも映画のタイトルや書籍の作品は残るんだ!』と驚いたのが本音です」
「『残っていくもの』だと思ってから、修悦体に対する向き合い方も変わりましたか?」
「この先も残っていくのなら、もっと丁寧に作ろうと思いました(笑)」
「逆に(笑)。今までの作品の中で『この使い方は面白いな〜』と思ったものはどれですか?」
「2022年に横浜市の弘明寺にできたシェアハウス『ニューヤンキーノタムロバ』ですね。職人さんが作ったタイルの修悦体が壁や床に文字が散りばめられていて、中に入った瞬間『こんな風に修悦体を使うんだ!』ってとても感動しました」
©︎Akari Kuramoto
「駅の案内板から始まった修悦体が、新しい価値観を持った若い世代をコラボして、佐藤さんも予想しない化学反応を起こしているんですね」
「例えばキーをひとつ押せば文字が出てくる時代の中、ガムテープを使って、一文字を何時間も汗まみれになりながら作っているのが、若い世代から見たら不思議なんでしょうね」
「修悦体は、今後どうなっていくのでしょう。お弟子さんはいるんですか?」
「おこがましいんですけど、後継者はいません。自分で蒔いたタネなので健康なうちは自分のペースで作りつつ、アルバイトも続けていこうと思っています。修悦体に興味がある人がいたら、気軽に声をかけてください!」
「これからも修悦体がどんな風に変化していくのか、楽しみにしています!」
最後に「修悦体を作っているところを見てみたい!」とダメ元でお願いすると、佐藤さんは快く引き受けてくださいました。文字はWebメディア名の「ジモコロ」をオーダー。次ページで制作の模様を紹介します!