2021年の秋頃、コロナ禍によって都内での仕事が減ったこともあり、僕は神奈川県小田原市に引越した。
小田原は地元で、18歳まで暮らしていたので、その土地の住み心地についてはよくわかっている。
その上で、住んでみると「地方での暮らしには、車が必須だよね!」というよく聞く言葉の通り、「ちょっとした移動にも車があったら便利だよなあ〜」という気持ちがだんだんと強くなってきた。
そこで、引越しから数ヶ月後、ディーラーさんに行って、車を試乗。
乗ってしまったが最後、いつの間にか車を購入していた。
世の中的には、シェアリングエコノミーの文化が定着しつつあり、レンタカーに限らず、カーシェアリング等も増えている。
それでも僕は、「車を買うって最高だぜ!」と、今日はそう言いたい。
「どうやって車を買うのか?」「車はどうやって選べばよいのか?」という情報はGoogleに聞けば教えてくれそうな気がするので、ここでは、
「車を買うのって、『ちょっぴりしあわせになります』って話じゃないんだ、『めちゃくちゃ日々が最高になる!!!! QOL爆上がり!!!!』」
こう言いたい。
では、なぜ、そう言い切れるのか?
もはや死語のような気もする「マイカー」が自分に何をもたらしたのか、いくつかの革命的な生活の変化について、語らせてほしい。
あくまで前提として車を運転するのが好きな僕の場合の話ではある。
いつだって、どこにだって行ける
自分が今住んでいる小田原についてと、車を買おうという気持ちになるまでの気持ちの変化を、先にちょっとだけ説明させてもらいたい。
まずは小田原。
昔、「東京から最も近い田舎町」と書いた通りで、都会ではないけれど、めちゃくちゃ田舎という感じでもない。(その割に自然はたくさんある)
・渋谷まで約66分
・東海道線(鈍行)で東京駅まで約80分
・ロマンスカーで新宿まで約70分
・新幹線を使えば東京駅まで約35分
それが小田原という土地だ。
以前、別のメディアで小田原について書いた記事
東京からはそこまで遠くない、とは言うものの、やはり東京と比べてしまえば、「スーパーまでちょっと遠いよね!」みたいなことはふつうにある。もちろん住む場所にはよるけども。
コンビニは徒歩圏内にあると言っても、ちょっとした買い物でデパートだったりホームセンターだったりに行きたいとなったら20〜30分はかかってしまう。
「健康のために歩こう!」という気持ちもあるものの、日常的に都度その時間を確保するのはなかなか大変だ。
そうしていると、気持ちの変化が出てくる。
都内に住んでいるときは考えもしなかった「車を購入する」という選択肢が、だんだんとリアルに頭の中に浮かぶようになってきた。都市部から郊外や地方都市に移り住んで、同じように感じる人も少なくないんじゃないかと思う。
自分の場合は、ジモコロの編集担当しかり、地方に足を運んで取材をしたりする機会が多い仕事なので、そういった動きも車でできるようになると考えると、その想像は現実味を帯びていった。
購入を決めた当初は「ちょっと移動が便利になるでしょ」くらいの気持ちだったけれど、実際に日々、車のある生活を送ってみると、これとは少し印象が違った。
「24時間、移動の自由を手に入れられる」
「行動範囲が無限に広がる」
という前提は、思っていた以上にインパクトがあった。
ふとした瞬間に、好きな場所に行ける。昼過ぎに思い立ったら、江ノ島に夕陽を見に行けるし、箱根の温泉にも行ける。
金曜日の夜にお酒を飲んでいて、「明日、松本行っちゃいますか!」と突然、松本旅をしたことがあったけど、車がなかったらなかなかその選択肢は生まれなかったと思う。
バカみたいな話に思えるかもしれないけれど、「オレは、いつだって、どこにだって行ける!」という事実は、とてつもなく幸福度の底上げになった。
高速で移動できる自分だけの個室
車を買ってわかったのは、それは限りなく「自分の部屋がひとつ増える」と一緒ということ。
移動しながら好きな音楽、ラジオ、YouTubeを流して聴くことができる。
車内では、ご飯を食べたり、仕事したり、寝たり、と自由に過ごせる。
人目を気にせず、誰にも迷惑かけずに、自分のやりたいことができる空間を持つことができる。
それはさながら第二リビングみたいなもんだ。もはや、別荘と言っても過言ではない。
そんなこと、これまでに誰かの車に乗ったりレンタカーしたときも一緒だったんだけど…、実際に車を持ってみると、その幸福度は比べ物にならなかった…。
だって、自分の部屋って、増えることないじゃないですか!?!?
電車や新幹線、バス、タクシー、それぞれに便利でよさがあるけれど、自分の部屋みたいに自由に過ごすことはできない。レンタカーは「自分の」ではないので、精神的な自由度は下がるし。
自分の車があったら、自分の個室で、移動できる。
しかも、高速で。
そんなもの、この世にマイカーだけ。
個室という観点でもうひとつ言うと、ドライブトークは深い話が生まれやすい。
自分の好きな場所で、好きな音楽を流しながら話していれば、そりゃあたまには深い話にもなる。(居酒屋でアルコールの力を借りて話すよりも、真剣そうな感じもするし)
運転手は運転で手一杯だから、どことなくうわの空のような雰囲気で、相手と真正面から対峙しすぎずに対話が進んでいくのも、いいのかもしれない。(あー、そうか! 助手席に乗っている人は、運転手の車に乗せてもらっているという感謝の気持ちみたいなものも、ちょうどいい会話の温度感をつくる秘密なのかもしれない!)
ついこの間も、助手席に座っていた友人がちょっとした相談事を話し始めたので、話し込んでしまった。
移動時間という“狭間”の時間だからこそ、ちょうどいいリラックスした時間がそこにはある。
「運転すると回復する」運転のデトックス効果︎
運転には、デトックス的な効果があるように思う。
サウナが大流行している今、「サウナにはスマホを持ち込めないからよい」というデジタルデトックス的な効果について語られることは少なくない。
いまや誰もがスマホの通知に踊らされている。
仕事の連絡、友人からの誘い、家族とのやりとり。現代人にとって、コンピュータのディスプレイと向き合う時間は、あまりにも多い。
車の運転中は、カーナビを見るくらいのことはあっても、ほとんどは目の前の風景と向き合わざるを得ない。(だって、そうしなければ事故っちゃう!)
じっくりとスマホ画面を見つめるなんてことはできない。
車の運転だけに集中していると、余計なことを考えずに済んで、脳内から雑音が消えてクリアになっていくような印象がある。
そもそも僕は、運転すればするほど回復する。もちろん身体は疲れているんだろうけど、心は穏やかになっていく。
「いやいや、運転ってめちゃくちゃ疲れるでしょ!?」と思う人も多いだろう。でもこれは、運転の慣れの問題と、ロケーションや状況によるところが大きいと思う。
天気のいい日に、車の通りが多くない時間帯に高速道路で車を走らせていると、気持ちがよくてひとりでニヤニヤしちゃう。
さらに言えば、運転には自己肯定感をアップさせる作用があるように思う。
「運転」とは、加速する、減速する、止まる、そのすべてを自己決定できる。もちろん当たり前に交通ルールはあるけれども、そのルール内で、すべての動きを決めるのは自分。
車を運転するという行為は、「自己決定」でできている。
生きていて、自分のやりたいように決定し、物事を動かせることなんて、実はあんまりないのかもしれない。
だから、車を持つと、自己肯定感が上がる。
おわりに
結論を言うと、自分にとって車のない生活なんて考えられなくなった。
僕は引越し大好き人間で、これまで2年に一度程度引越しをしてきた。もはや趣味。これから先も今住んでいる場所を離れて、また都心部に住むことがあるかもしれないけど、少なくとも今のところは絶対に駐車場付きの物件に住みたいと決めている。
車を所有するとなれば、もちろん購入費もかかるし、維持費もかかる。決して安い買い物じゃない。自分にとっても人生で一番大きな買い物だったし、多くの人にとっても、それは「家」か「車」になるはずだ。
それでも「車を持つこと」は、想像以上に自分の幸福度を上げてくれた。
車を買う気のない人にまで無理に勧める気はないけれど、「車、買ってみようかな〜」と頭をかすめている人には、全力でオススメしたい。
そして、もし車を買ったのなら、僕がまだ気づいていない「車を持つこと」の素晴らしさを教えてほしい。