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なぜテンホウは愛される!? 信州イチのローカル餃子店が考える、みんなの店舗経営論

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なぜテンホウは愛される!? 信州イチのローカル餃子店が考える、みんなの店舗経営論

突然ですが……、

 

この鶴のキャラクターに、見覚えはありませんか?

 

知っているあなたはきっと、長野に住んでいるか、とても長野が好きな人のはず。

 

いつもは「全国のみんなに、記事を届けたい!」そう叫びながら取材先を回り続けているジモコロ編集部。

 

でも今回ばかりは、「まず、長野のみなさんにこの記事を届けたい」。そう思います。

 

だって、今日は長野のみんながめっちゃ大好きな、"あのお店"の話だから……

 

辛さは控えめで、ゴマの旨みをた〜〜っぷり感じる坦々麺とか、

 

プリプリで、噛んだ瞬間にフワッと漂うスパイスの香り(何が入ってるんだ?)がクセになっちゃう餃子とか……

 

そう、思い出してきたでしょう。大好きなあの居心地、あの味を。

 

そう! 今回の取材の舞台は、諏訪エリアを中心に長野県全域で愛される中華料理チェーン「みんなのテンホウ」です!

 

エリア特集『信州大探索』をはじめて数ヶ月、長野に遊びに(取材に)来るたび、知人たちに言われていたんです。

 

「テンホウさんは、取材しないの?」と。

 

そして、各々の思うテンホウのいいところを教えてくれるんです。こんなふうに。

 

みんなの声を聞いていて思いました。「こんなにも溺愛されている地元チェーン、自分のまちにあったか……?」すぐには、思い浮かびませんでした。

 

なぜ、テンホウは長野県民からそこまで愛されているんだろう? そのヒントは、「みんなのテンホウ」という店名に隠されていました。

 

社長も、先代社長たちも、従業員も、お客さんも、多くの人を「みんな」の中に入れて、店をその街に残していく。そんな「地元の味を守る企業」の在り方が、愛される理由でした。

 

百代おばあさんからはじまった、「テンホウ」の物語。

インタビューに入っていく前に、もう少しだけ「テンホウ」の評判とか、歴史の話をさせてください。(知るとより一層、記事が楽しめるはずです。)

 

長野県民から溺愛されている「テンホウ」。その評判を聞けば聞くほど、文句なしに「長野のソウルフード」と言われるお店だとわかります。

 

愛されエピソードも数々。たとえば、、、

・長野県から出た子供へ、親が「テンホウの冷凍餃子」を仕送り

・引っ越してしまった長野県民から、「〇〇県に出店してほしい!」と連絡が

・店長が別店舗へ異動すると、常連さんが追いかけていく?

 

そんなお店のはじまりは、「旅館の女将がはじめた、餃子屋さん」だったそう。

 

中央で赤ん坊を抱きかかえているのが、テンホウの生みの親。旅館「鶴の湯」の女将であり、現テンホウの創業社長でもある百代さんです。

 

テンホウの歴史を簡単に振り返ると、こんな感じ。

 

ちなみに、挑戦好きの初代社長の時代には、スパゲティー屋さんやお弁当店、焼肉店なども開店したことがあるとか。いずれも現在は閉店。

 

そして、今日お話を伺うのは……

 

百代おばあちゃんに抱っこされている、こちらの赤ちゃん。写真から数十年が経って……

 

現社長になりました。この方が、4代目現社長の大石壮太郎さん。こちらの大石さんに、テンホウの今昔と「長野県民に愛される理由」を伺っていきます!

 

話を聞いた人:大石壮太郎さん

長野県諏訪市出身。東京での就職を経て、テンホウ・フーズに入社。店舗など現場を経験したのち、2011年に3代目社長に就任。スタッフが主体性を持って店舗運営に取り組めるよう、組織改革を進めてきた。現在、「テンホウ」は県内33店舗を構える。

 

「今日はよろしくお願いします! テンホウさんのこと、長野出身の知り合いからたくさん聞いていて。みんなから『子どものころ、家族でよく行ってた』って言われるんです」

「それは嬉しいですね〜」

『なんでそんなに、地元の人たちに愛されてるんだろう?』って、気になってホームページを拝見して。目に入った創業秘話を読んでたら、ますます気になってきて」

 

テンホウの公式ホームページには、創業秘話と家族のストーリーが丁寧に描かれている。

 

「元々は、お祖母さまがはじめられたお店だったんですよね?」

「そう。私の祖母にあたる百代おばあさんが創業社長です。当時、旅館『鶴の湯』の女将だった彼女が『このままでは、旅館業も先細りする』と考えて。旅館の隣に『餃子菜館』というお店を立ち上げたのがはじまりでした」

「なかなか珍しい業態変更ですよね」

しかも、おばあさんが『餃子屋をはじめよう!』と行動し始めたのは、50歳をすぎてからなんですよ。家を出て、新宿の中華料理屋さんに餃子を習いに行くんです」

「いきなり大冒険ですよね……! 突然、都会に餃子を習いに行くなんて」

「当時は、高度経済成長の勢いで諏訪にも大きなホテルや宿が開業するようになって。小さな旅館をそのまま続けても、生き残れないという危機感があったんだと思います」

「時代の先読みをしていたと。百代おばあさんって、どんな人だったんですか?」

 

「もともと旅館をやってたので、やっぱり仲居的な感覚のある人で。いつも着物をピシッと着て、『人を大切にしなさい』と教えられましたね」

「かっこいい創業社長だ……じゃあ、百代おばあさんの手腕でどんどんお店が増えて、いまや県内に何店舗もあって……」

いや、お店の数を増やそうとしたのは親父の代からなんです。1店舗で終わらせるのは嫌だから、チェーン店にするぞ! と勉強をはじめて」

 

旅館の隣で「餃子菜館」は開業。奥に小さく暖簾が見える

「さらに、2店舗目を出してすぐに、1973年には会社初のセントラルキッチンを作ってしまうんです

 

県内に建てられた、会社初のセントラルキッチン。このなかで、機械による餃子の生産が進められた。

「いきなり!? セントラルキッチンって、めちゃくちゃ店舗数の多い飲食チェーンとかが『店で仕込んでちゃ間に合わないよ〜〜』ってなってはじめて用意する施設ですよね?」

「そう。2店舗目で作っちゃったんです。さらに、手詰めでつくっていた餃子も、大量生産をするためにオートメーション化を進めて。メーカーさんを呼んで、一緒に餃子づくりのメカを開発しました」

 

2代目がメーカーさんとともに開発した、餃子づくりメカの一部

 

「2代目社長の経営、めちゃくちゃスピード感ありますね……拡大するための覚悟と準備がある。バリバリスタートアップの会社みたいだ……」

「親父は本当は機械いじりが好きで、機械系へ進学したかったそうなんです。だからきっとそういう仕事がしたかったと思うんですよ。でも、家業を継ぐためにその道はあきらめたので、『せっかくやるなら、会社を大きくしよう』と奔走したそうなんです

「なるほど……初代社長、2代目社長と、それぞれに自分の思いがあって、テンホウが受け継がれてきたんですね」

「でも、商売について言えば、二人から同じようなことを言われた気はします。それは、『商売は人が大事だから、信頼を大事にしろ』ということ」

 

「信頼、ですか」

「信頼って失う時は一瞬なんですよね。でも、つくるにも、取り戻すにも本当に長い時間がかかる。信頼をつくることそのものが、経営の本質なのかなと思います

「信頼をつくることが、経営……お店の創業秘話とかを聞くのが好きなので、めっちゃ面白いです」

秘密をばらすと、口コミが増えていった

「でも、こういう話も最近まではあまり外に出していなかったんですよ。実は、2017年に現工場を新設したあたりからなんです」

「へえ! そうなんですか?」

「僕は経営者としては4代目。おばあさんがはじめて、父が『チェーンにする』と決めなければ、社長という立場をいただけていない訳なので。『僕はなんのために引き継いだのか』と考えるなかで、改めて、会社の歴史を聞いて回って」

「原点に立ち返るための、リサーチがあったんですね」

「そのころちょうど、餃子や製麺の生産量が増えてきたので、規模の大きな現工場を新設して。工場見学ができるような設計にしたんです。その時から、『僕たちのやっていることの裏側を、もっと見せた方がいい』と思うようになって」

 

本社併設の新工場には見学用の通路が。ここで、餃子や製麺の工程を見ることができる

「いまでは地域の小学生向けに、工場見学も受け入れています。製麺の工程や、餃子づくりの工程も見せていて……当初はずっとレシピを秘密にしていた『テンホウの餃子』の中身も、6つ入れている香辛料のうち3つだけ公開したんです

 

「へえ〜! 創業から数十年経ったこのタイミングで! でも、それって門外不出のレシピ的なやつだったのでは……?」

「そうなんです。教えられるのは代々の工場長や、レシピ研究の人間だけで。社長の僕ですら、全部は教えてもらっていなかったんですよ

めちゃくちゃ秘伝じゃないですか

「聞かれても、『クセになる魔法の粉を入れてます!』とか怪しいこと言ってましたね。バラしちゃいけないから(笑)」

 

噛むとふわっとスパイスの香りが広がる、テンホウの餃子。めちゃくちゃ美味しい

「でも、そんな秘密をみんなにバラしてよかったんですか??」

「それがね、よかったんです。ずーっと食べてくれていたお客さんたちが『それが入ってたんだ!』って、今度はその話を口コミで伝えてくれるようになったんですよ」

「へえ〜!『あれが入ってたらしいぞ!』って?」

「そう! 口コミの元を掴んだというか」

「お客さんたちも、テンホウの良さを伝えたいけど、説明が難しかったのかもしれないですね。それが『テンホウの秘密はね……』って言えるようになった。友達にも言いたくなっちゃうだろうなあ」

「三世代」の食卓をつくる、店舗づくり

「テンホウのことを周りから聞いていると、『みんな、テンホウの話するの好きだな〜』って思います。自分の地元に、そんなに語りたいローカルチェーン店ってあったかな? って思うと、あんまり思い当たらないくらい……」

 

かつて発行されていた広報誌。店名がまだ「ぎょうざさいかん」だが、この頃からキャラクター「てんつるくん」の姿が

「特に、『小さい頃に親と行ってた』という話と、『帰省すると行きたくなる』という話が印象的で。チェーン店だけど、家族の思い出の味になってるんだな、って思います

「それはまさに目指していることなので、嬉しいですね」

「どうして、テンホウはそんなにファミリー層に愛されるお店になっているんでしょう?」

「僕たちは、『家族の団欒の場所を提供しよう』と考えていて。そのためにいろんな工夫をしているんです。特に『三世代ターゲット』というコンセプトを掲げています

「三世代、ですか?」

 

お店の外壁にも、「三世代家族 みんな大好き」の文字

「そう。おじいさんおばあさん、お父さんお母さん、お子さんという三世代で、テンホウに食べにきてほしいんです。そのために、おじいさんおばあさんの世代にだけ『三世代券』という割引券をお渡ししていたり、家族で来られるように小上がり席を増やしたり、工夫しています

「子連れのお客さん、とかファミリー層を大事にするのはわかるんですけど、『三世代』にまで広げるのは珍しいですよね」

「やっぱり、次の世代のためを考えるとそうなります。子供の頃からテンホウを食べてくれていれば、大人になったときに『パパが小さい頃に食べてたのはここだぜ』と言ってくれるじゃないですか。お父さんお母さんが子どもを連れてくる。そのまた子どもを、今度はおじいさんおばあさんと三世代で連れてくる……と、つながっていくんです」

「長い時間軸の話だなあ……! ちょっと傲慢な言い方かもしれませんが、お客様を育てていくというか」

「というよりも、『お客様と一緒に育っていきたい』と思います。お客様の人生の一ページの、近くにテンホウがあればいいなと」

 

「『三世代』と言いはじめて20年くらい経ちますが、そのコンセプトを決めた当時は『ラーメン=具体的なターゲティング』が鉄則でした。だから、コンサルの人には反対されて」

「確かに、『20代が好きなラーメン』とかの方が、お客さんを集めやすそう。コンサルの人には、なんて言われたんですか?」

「『うちは三世代をターゲットにして、いろんな世代の方に喜んでもらえるように商品の幅も広げて……』と話していたら、『それは一番ダメなやつですよ』と」

「ちゃんと反対されてる」

「でも、世の中がそう言う時って、世の中から見られていない人たちがいるはずだと思って。それで、お店で働いているパートの方々と話をしたことがあるんです」

 

「店舗で働くみんなに『どういう時に仕事が楽しいですか?』って聞いたら、『おじいさんおばあさんやお子さんがいて、子供用のお椀を持って行った時に、わーありがとう! って言ってもらえる時とか、一番楽しいですね』って」

「そのシーン、めっちゃ想像できますね……」

「それじゃあやっぱり、ターゲットを絞るとか言わず、全部やろうって。三世代の家族に来てもらう、そのために何ができるか考えようっていうのがスタートだったんです」

 

「メニューも、最初こそタンメンとチャーメンという2種類だけでしたが、いまはすごく増えました。それも、いろんな世代のお客様に喜んでもらうため。先代の頃には『埼玉で、坦々麺というものが食べられるらしい』と聞くと、行って教わったりして」

「百代さんもそうですけど、代々の経営者たちはサッと行動して、教わりに行くんですね」

「そういう人柄だったんでしょうね。人と仲良くなって、教えてもらうのがうまかった。そうして教わったものを、テンホウ流にアレンジしてメニューに加えてきたんです」

 

「たとえば、坦々麺って世間だとシビれる辛さが特徴でしょう。でも、うちでは子供も食べられるように、辛さがほぼないんです。ゴマもたっぷりで、健康的で美味しい感じ」

「確かに、いただいてみると辛味よりも"ゴマと挽き肉の旨味"を強く感じました! 食べやすくて、美味しかったです」

「そうでしょう? それに、辛さが欲しい人のためにはテーブルに調味料もセッティングしてある。豆板醤とかも、まだスーパーで一般的に売られる前から中国に研修に行って、テーブルに常備できるものを自社開発していました」

「本当に、"家族三世代が楽しめる"ために試行錯誤をしているんですね。楽しめない人や、食べられるものがなくて寂しい……なんて人がいないように」

店舗スタッフも、"みんな"の一人。

「これだけ愛されているお店を、何店舗も運営するのって難しくありませんか? お店によって、違いが出てきてしまいそうで」

「むしろ、今は各店それぞれで、パートアルバイトさんも含めて商品開発は現場でやってるんですよ。目の前にいるお客さんと一番触れ合っているのは、現場で働いてくれる店員たちなので。お客さんの目線でつくった方がいいと思っていて」

「そうなんですね!! じゃあ、お店によってメニューが違う?」

「定番メニューはありますが、お店ごとに独自の商品がありますね。それに、料理の味付けも多少違うことがあります」

「え、チェーン店なのに味が違う?? それはいいんですか???」

 

「きくらげ炒め」や「いかやき」など、一品料理には特に店舗独自メニューが多いのだとか

 

「作るスタッフにも、好みがあるじゃないですか。野菜炒め一つとっても、炒め具合とか、塩加減とか、自分が『一番美味しい』と思いながら作って、出している。そこにお客さんが集まってくれているので」

「なんとなくわかりますが、それにしても自由だな……」

「だから、店長が変わったら『今度の人はしょっぱい!』ってお客さんから言われることもあります。そして、お客さんが前の店長の異動先を探して、店舗を移るんです」

「え?? 店長を追いかけて、通う店を変えるってことですか?」

「そうなんです。諏訪のお店から松本へ移ったら、わざわざ松本に来てくれたお客さんもいたらしくて。『見つけた! ここにいたの!』なんて言って。それが、僕はいいなと思っていて」

 

「味って主観じゃないですか。『口に合わない』というのはわかるけど、『まずい』というのは、その人の感覚で。スタッフが『これ、僕が作ってます! 美味しいです! どうぞ!』と言える状況にしたいんです。だから、最近は開き直って『全店舗、味は違います』と言ってます」

「あくまで、店舗の人員に任せると」

「クレームをいただくこともあるけれど、そこは謙虚さを持って、意見を受け止めて。ただ、9割9分のお客様はそういうことをわかってくれて、『みんなのテンホウ』にしてくださる」

「聞いていると、店舗のスタッフさんの裁量もすごく大きいですよね?」

「そうですね。それこそ、全員経営者って感覚を持って働けるようにしたいなって思ってはいます。だから、店舗の売上とか、給料とか、仕入れの費用とか、そうした数字も店舗スタッフ全員に共有していて」

「全員、店舗運営のお金の動きを見れるんですか!?」

「どうすれば自分の給料が上がるのか、そのためにはどれくらいの売上を作って、どういう出費を抑えられるのか、って。そういうことが現場で判断できるようにして、自分達で考えながら店をつくっていってほしい」

「みんなのテンホウの『みんな』のなかには、当たり前にパートやアルバイトの方も入ってるっていうことなんですね。会社とお客さんじゃなくて、店と従業員とお客さんとがフラットというか」

「いやぁ、だって思いますよ。彼ら彼女らがいないと実際お店回らないですから。一番お客さんと接するのって実はそこなので」

 

引き継いだ社長は、老舗企業をどうするか

「これだけ愛されてきたお店たちを引き継いでいくこと、プレッシャーもすごくあると思います。大石さんは、長く続いてきたテンホウをどうしていきたいんでしょう?」

「昔、コンサルの先生から言われて納得した言葉があって。それは『創業者は短距離ランナー。2代目3代目はリレー』というものなんです。つまり、タスキを次に渡すのが、僕たちの使命だと」

 

「うちは旅館の開業から数えて80年、餃子菜館からは65年。次の世代に繋いでいく仕組みづくりが、自分の場所だと思います。自分の代で威張るんじゃなく、次の人にスポットを当てていくようなことをやらないといけないな、と思っています」

「なるほど、テンホウというお店の文化が、これからも続くように」

「いま、日本は人口のピークアウトをしていて。人口が減っていくことを考えると、もしかしたら店舗の数も絞っていかないといけない。規模の拡大だけでは、経営が成り立たない社会に入っていくと思うんです」

「そうですよね……」

「会社をつくったおばあちゃんの世代では、『地域の人たちに喜ばれよう』とか、親父の世代では『食うためにも、会社を大きくするぞ』って思いで必死だったと思う。自分は、働いている人たちが『この会社で働いてて幸せだった!』っていってもらえるような経営にしたい」

「そう言ってもらえたら、経営者冥利につきますよね」

「僕らは、人口が減っていく社会にいる。人口が減るってことはお客さんも減るし、働く人も減る。だからこんな先行きの会社は嫌だ! ってなると困るから、今のうちからひとつずつ試していこう、といまちょうど動いているところで」

 

テンホウでは、県内のスーパーへの餃子の卸販売や、通販での販売をスタート。「怪我とか引っ越しとか、何か理由があってテンホウの店に来られなくなった人にも、テンホウの味を楽しんで欲しい。それなら、家でテンホウを食べてもらいたいと思ったんです」と大石さん

 

一部の店舗の外には、餃子の自動販売を設置。「店舗が営業していない時間にも、テンホウの餃子を買っていただけるようになった」

 

「おうちをテンホウに」をテーマに、ECサイトでも冷凍の餃子やオリジナル調味料を販売中

「一見さんをどう集客するかとか、マーケティングを駆使して人を集めようというより、今きているお客さんにどれだけ役に立つことをして、繰り返し繰り返し人生の一部として来てもらうか。そっちを育てた方がいいと思っています」

「ますます、長野に住むみんなにとって欠かせない店になろうとされているなって感じます」

「店名も、昔は『餃子のテンホウ』だったんですよ。で、ラーメンをはじめるようになって『ラーメンチェーン テンホウ』になって。続けていくうちに、いろんな人に応援されて、みんなに育ててもらっているという思いが強くなって。それで、『みんなのテンホウ』に名前を変えたんです」

 

今では、お皿の一つひとつに「みんなの」という文字が並ぶ

「愛されるお店としてのポイントを一言で言うとすれば、何になるんでしょう?」

「一番重要なのは『信頼を得られること』だと思っていて。そのためには、現場の人たちが生き生き楽しく働かないといけない。テンホウというものを、みんなで育てようと。従業員もそうだし、使っていただいているお客さんのご要望も、一つひとつ聞いて取り入れていこうと」

「信頼を得続けて、『みんなの』テンホウでいることが、愛される理由だったんですね」

「そう。ある店舗には40年間ずっと働いてくれているパートさんがいるんですが、子供の頃の常連さんが、お子さんを連れてきてくれていて。本当に『いらっしゃいませ!』じゃなくて『おお、よくきたね! おかえり!』なんですよね」

「まさに目指していた姿ですね」

「お店がそういう立場になれたら、素敵じゃないですか。ただ商売じゃなくて、そこにあることで生活とか人生が豊かになるよね、ってお店にしたいんですよね」

おわりに

三世代家族をコンセプトに、多くの長野県民の外食の思い出をつくってきたテンホウ。

 

従業員も、お客さんも、関わってくれる人たちみんなが主体的に「テンホウ」を楽しもうとすることで、その場所はただの飲食チェーンではない場所になっていました。

 

「みんなの」お店だから、みんなでお店のことを考える。そうして開かれた場所が、子どもたち、孫たちの世代まで残っていけば、少しだけ地元のことが好きになるんじゃないでしょうか?

 

テンホウと人の物語は、そんな「地元を愛せる理由」まで、考えさせてくれました。

 

 

☆この記事はエリア特集「信州大探索」の記事です。

【2022年】長野県の機運が高まりすぎたのでエリア特集「信州大探索」をはじめます


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