Quantcast
Channel: イーアイデムの地元メディア「ジモコロ」
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1396

生きることを肯定できる地元で、自分のことはどうでもよくなった

$
0
0

生きることを肯定できる地元で、自分のことはどうでもよくなった

こんにちは。土門蘭です。

 

長野県飯山市という場所をご存知でしょうか。

 

市内全域が特別豪雪地帯に指定されているほどの、日本有数の豪雪地帯。冬の間は2,3メートル積もるのも珍しくなく、1年のうちの3分の1は雪に覆われていると言われている場所です。

 

見てください、この雪の量。

 

車が走る道路なのですが、両脇に雪が積もりすぎて景色が全部真っ白です。

 

私たちが取材に行った2月は、飯山でもっとも雪が多い時期。身長をはるかに超える雪の壁、そしてさらに降り続く雪、雪、雪……。

 

そんな街に住んでいる若者が、フリーペーパー『鶴と亀』を発行している、編集者兼フォトグラファーの小林直博くん(30)です。

 

生まれた時からこの街で育ち、一旦都会へ出たものの、「やっぱり飯山で生きていこう」と戻ってきた小林くん。

 

今は飯山に住むイケてるおじいちゃんおばあちゃんを切り取ったフリーペーパー『鶴と亀』を不定期で作りつつ、農業をしたり、写真を撮ったり、企画・編集などをしながらこの街で暮らしています。最近は結婚もして、実家のすぐ隣で新婚生活がスタートしたのだとか。

 

そんな小林くんと、1年ほど前に2人で話す機会がありました。駅に向かう車の中、結婚報告とともに彼がこんなことを言っていたのを覚えています。

 

「飯山は豪雪地帯で住みにくくて、過疎化も進んでいて、お嫁に来てくれる人がなかなかいないんです」

 

それを聞いて私は思わず、「そんなに大変な場所なら、小林くんが『飯山を出る』という選択肢はなかったんですか?」と聞きました。

 

すると、彼はこう言ったのです。

 

「僕は『ここを出ない』って決めたんです。決めたら、迷わなくていいですから」

 

 

その時思ったのは、「なぜ、小林くんはそこまでしてここで生きるのだろう」ということでした。その疑問は、実際に豪雪期の飯山に訪れて、ますます強まりました。

 

なぜ、こんな過酷な豪雪地帯に小林くんは住み続けるのだろう?

 

「地方創生」が盛り上がり久しいこの頃ですが、そんな言葉でまとめられるほど、地方の暮らしは楽ではありません。楽じゃないからこそ人が出ていくわけで、そこで暮らすには何かそれ以上の理由があるのではないかと思います。

 

核家族化、生活の多様化、仕事のリモート化によって、どこでも暮らせるようになった現代。今ほど、「どこで暮らすのか」を問われる時代はないかもしれません。

 

そんな時代の中で、なぜ小林くんは飯山で暮らすのか。

その理由をインタビューさせてほしいとお願いすると、彼は承諾してくれつつもこう答えました。

 

「でも今の自分には、誰かに伝えたいことが特にないんですよ。自分がここで日々感じている感覚的なことを、言葉にして伝えるのってめっちゃ難しくって。だから今はあんまり情報発信とかしないで、飯山でただ暮らすことにしているんです」

 

それを聞き、ますます興味を掻き立てられた今回のインタビュー。

 

雪がしんしんと降り積もる小林くんの自宅で、小林くんの内面を語ってもらった、一万字インタビューです。

 

話を聞いた人:小林 直博

長野県飯山市在住。編集者兼フォトグラファー。ばあちゃん子。2013年、生まれ育った奥信濃のじいちゃんばあちゃんたちを発信するフリーペーパー『鶴と亀』を創刊。2017年、書籍版鶴と亀『鶴と亀 禄』(オークラ出版)を刊行。

 

飯山でヒップホップ的表現をしたら『鶴と亀』になった

「小林くんは、生まれも育ちも飯山なんですよね?」

「はい。今住んでる家の隣が実家なんですけど、あそこで男兄弟3人の真ん中として生まれて、高校卒業まで住んでいました。大学からは埼玉です。都会に行きたいってずっと思っていて、なるべく東京に近い、指定校推薦で楽して行ける学校に入りました」

「『都会に行きたい」っていう気持ちは、いつ頃から?」

「小学校高学年から、兄貴のCDや雑誌を借りるようになって、ヒップホップやストリートカルチャーを好きになったんです。でも、雑誌に載っているCDとか服を買える店やイベントは、基本的に全部都会にしかなくて、『行ってみてえなあ』ってずっと思ってて。こっちは、欲しい雑誌を買うのにも、親の車で40分くらいかかるTSUTAYAまで行かないといけない。だから、高校卒業したら絶対都会に行こうって思ってましたね」

「都会への憧れとともに、田舎に対する嫌気みたいなものはなかったんでしょうか」

「当時は『田舎には何もねえな』みたいなことを言ってたこともあったけど、嫌になるっていうよりは都会への憧れだけが強かったです。兄貴が先に上京していたので、その話を聞くうちにますます憧れも強くなって」

「それで実際に都会に住んでみて、どうでしたか?」

「最初はめっちゃ楽しかったですね。行ってみたかったお店やクラブ、曲の歌詞に出てくる場所なんかに行ってみたりして。あと、『池袋ウエストゲートパーク』っていうドラマがめっちゃ好きだったんですけど、池袋西口に行ってみて『これがウエストゲートパークか! ブクロ最高!』みたいな」

「すごい堪能してたんですね(笑)。で、大学4年の時に、お兄さんと『鶴と亀』を創刊されたそうですが」

 

小林兄弟(兄=徹也、弟=直博)が発行する、長野県奥信濃発のフリーペーパー『鶴と亀』。奥信濃に住むイケてるおじいちゃんおばあちゃんの日常を切り取った内容で、2013年8月からこれまでに5号を刊行。2019年にはその集大成となる写真集『鶴と亀 禄』を発売している。(撮影:小林直博)

 

「兄貴と最近のヒップホップの話とかお互いに出会ったおもしろいものを共有するうちに、『ZINEとかフリーペーパーっておもしろいよね』って話になったんです。飯山でも、こういうの作りたいよねって」

「えっ、東京じゃなくて飯山で?」

「はい。そもそもヒップホップって、地域性が強い文化なんですよ。自分たちも特に、土地に根ざした文化や要素が滲み出てるものが好きで。飯山で作るとしたら、どんなものがおもしろいかなって兄貴と話していたんです。それで『じいちゃんばあちゃんを取り上げたフリーペーパーを作ってみようか』と」

「へえー」

「もともと僕は、昔からばあちゃんと同居してて、遊び相手もばあちゃんとか近所のじいちゃんばあちゃんだったんです。この辺の集落って昔から子供が少なくて、俺は近所に同級生がいないんですよ。それに両親は仕事をしているから、自然とばあちゃんと遊ぶ時間が多くなって、一緒にお茶を飲んだり、野菜を作るのを手伝ったりするようになっていったんですよね。その中で、じいちゃんばあちゃんのおもしろさをずっと感じていたんです。

ヒップホップって、基本的には自分たちの身の回りや日常のことを音楽や作品にする文化なので、俺たちがここでそれをするなら、じいちゃんばあちゃんのことになるよねって。東京の人だったら、『渋谷最高』『朝まで飲んでギャルと騒いで』っていうのが曲になるけれど、ここにはギャルもいないし、クラブもない。ここでヒップホップ的な表現をしようとしたら、勝手にじいちゃんばあちゃんになるんですよ」

「なるほど。『鶴と亀』が生まれたのは必然的なことだったんですね」

 

アイドルよりも、近所のじいちゃんばあちゃんの方がいいな

「小林くんは『鶴と亀』を出してから、卒業後はすぐに飯山に帰ったそうですが、憧れの東京に出たのに、そこで就職しなかったのはなぜなんでしょう」

「当時、本を作る仕事に興味があって、一度、東京の編プロでインターンをしていたんですよ。街を特集した雑誌つくってたり、アイドルのツアーパンフつくってたりとか、めっちゃおもしろいことをしている会社で」

「おー! それってチャンスですよね」

「でも、デザインソフトの触り方とか独学だったし、タイピングとかもマジで遅いんで、プロの仕事に全然ついていけなくてボロカスに言われてましたね。

ただ、それ以上に決定的だったのが、あるアイドルのインタビューのテープ起こしをした時だったんです。今をときめく有名アイドルだから、『めっちゃ楽しそう』って期待してたんですけど、実際にやってみたら、『おもしろいけど、俺、近所のじいちゃんばあちゃんのテープ起こししてる方が楽しいな……』って思っちゃって。アイドルよりも近所のじいちゃんばあちゃんの方がいいなって思う自分は、もうあれかなぁと

「(笑)。でも、それってなぜなんでしょうね? どうしてじいちゃんばあちゃんのテープ起こしの方が楽しいなって思ったんでしょう」

「なんか、アイドルがかわいいこと話してるのも、じいちゃんばあちゃんが畑や漬物のこと話してるのも一緒じゃない? ってなりましたね。その瞬間、地元のじいちゃんばあちゃんがアイドル化しました。

あとは、締め切りがあるって制作環境も苦手でしたね。仕事だから当たり前なんですけど、『何時までにテープ起こししておいてね』って言われて、『絶対終わらない! やばい!』って思いながら作業するのが辛すぎました。出勤退勤は満員電車でしたしね。やっぱり仕事でものづくりするのと、好きでものづくりするのは違うんだなあと。のびのびと自由につくる方が、自分には合ってる。そっちのリズムの方がいいなーって」

「仕事として本を作るのが、あまり合わなかったんですね」

「はい。かなり甘いことを言ってますけど、僕、ゆとり世代ど真ん中なんです。今まで、死ぬほど頑張って受験勉強とかしたことないですし、締切に絶対間に合わせるとかもしたことなくて……」

「(笑)」

東京で働くの無理そうって思って、普通にそこから逃げましたね。『鶴と亀』っていう楽しいものがあったから、そっちに逃げたんです。それで編プロを一ヶ月もしないでやめて、すぐ『鶴と亀』の協賛集めへ行くために、卒業式を待たずに飯山に帰りました。それで特に働くでもなく、実家の田んぼの手伝いだけして、『鶴と亀』の2号目を作り始めたんです」

 

飯山で育ってきたことを肯定しないと、自分自身を肯定できない

「ずっと飯山にいることを決めたのは、この時ですか?」

「いや……『鶴と亀』を作る前に、超自問自答をしていた時期があったんですよ。学生時代に、家からずっと出ないで引きこもっていた時があったんです」

「え、何を自問自答していたんですか?」

「なんだろう。『どうやって生きていこうかな』ってことですかね。自分のことをめちゃくちゃ考えすぎて、家から出られなくなっちゃって

​​「どうやって生きていくか?」

「当時、大学3年とかだったと思うんですけど、まわりのみんなが一斉に就職活動で、黒髪にしてスーツ姿になったんですよ。俺はどうしてもそれをしたくなくって、じゃあどうするかみたいな。自分には何ができるんだろうとか、自分らしさみたいなことを延々と考えてました。でも基本、自己肯定感が高くないので、すごく悩んでいて。全然答えが出なくて……結果、気がつくとグロ動画まとめサイトを観てバッドに入る毎日でした」

「わー、なんか小林くんって、アクティブで明るい印象だったので、意外な話です」

「そんな時、やっぱりヒップホップのことを考えていたんですよね。僕は人生の途中で上京して都会にいるけど、この土地にいる時間は別に長くないわけじゃないですか。『自分って何なんだろう』と考えた時、やっぱり飯山で育ってきたことを肯定しないと、自分自身を肯定できないかなって思ったんです」

「育ってきた場所を肯定することが自己肯定につながるのでは、と?」

「はい。それって、ヒップホップやストリートカルチャーの人がやってることなんですよ。自分の生まれ育った場所がどんなに貧しくて危険な地域でも、それを受け入れる。別にみんな『俺の街はいいところだ』ってことを表現しているわけじゃないんです。危ねえしヤバいところだけど、そこで生きてる自分を受け入れる。俺はそういう人たちのことがかっこいいって思ってきたんだから、自分も一回受け入れたいなって」

 

「小林くんにとって、ヒップホップって本当に大きい存在なんですね」

「めっちゃ大きいです。これまではちょうどいい言葉が見つからなくて、ずっと『ヒップホップ』って言っていたんですけど、要するにそれって哲学者の鶴見俊輔さんの言う『限界芸術』なんですよね

「『限界芸術』?」

「はい。鶴見さんは芸術を『純粋芸術』『大衆芸術』『限界芸術』に分けて論じているんですけど、プロによって作られてプロに受け入れられる芸術を『純粋芸術』、プロによって作られて大衆に楽しまれる芸術を『大衆芸術』、そしてプロじゃない人たち、つまり庶民によって作られて庶民に楽しまれる芸術を『限界芸術』と呼んでいて。いわゆる、民謡とか盆踊りとか年賀状とか、そういうものの中に本当の芸術がある、と言っていたんですね」

「なるほど」

「ヒップホップもまさにそれだと思うんです。自分たちの生活から生まれる作品。ZINEなんかでも、荒削りなスケッチや、超適当に撮ったスナップなんかが載っているだけなんですけど、それがすごくおもしろくて」

「はい、はい」

「次第に、自分はヒップホップやストリートカルチャーをもっと身近に感じたいと思って地元を出たけれど、求めていたものは地元にもあったんだと気づいていくようになりました。かっこよさやおしゃれさって、田舎くささやおばあちゃんっ子的な要素を削ぎ落とした先にあると思っていたんですけど、別にその部分捨てなくても良くない? みたいな。ヒップホップってそうだよなあって思ったんですよね」

 

ここで暮らすと人生が早く過ぎていってくれる

「だけど……実際問題、飯山ってものすごい所ですよね。実際に訪れないとわからないことってあるなぁと思ったのですが、小林くんに運転してもらったり除雪したりしてもらわないと、雪がすごすぎて外を出歩くこともできなくて。無力感を通り越して、恐怖を感じるほどなんですが」

「あはは。そうですよね。実際に来て体感しないとこの感じ分からないですよね」

「そんな環境で生きることが小林くんにとってどんな意味を持つのか、ぜひ教えてほしいんです」

「うーん……僕は基本的に、生きるのがしんどいんですよね

「えっ、それは、人生がしんどいってことですか?」

「そうですそうです。その引きこもってた時とか特に感じてました。寝て、起きるとまた次の日が始まってるわけじゃないですか。これ一生やんのかって思うと、ものすごいしんどくて。そんな感じのしんどさがずっとベースにあるんですよ」

「そうなんですね、意外だなぁ……」

「そういうマインドとも向き合いつつどうにかしたいなあって、その後『鶴と亀』を作り始めた部分もあって。で、こっちに戻ってじいちゃんばあちゃんと接していくうちに、どのタイミングかは忘れたんですけど、ある時ふっと思ったんですよね。『まあ生きるのが面倒なのには変わりないんだけど、ここで暮らすと人生が早く過ぎていってくれるだろうな』って。『気づいたら死んでるだろうな』って思ったんです」

「えっと……それはなぜ?」

ここで暮らすのが大変だからです(笑)。というか、ここって自分の都合で暮らしていけなくって、環境の都合に合わせて暮らしていくって感じなんですよ。飯山って、四季がとにかくはっきりしているんで、その季節その季節でやらなきゃいけないことがあるっていうか」

「はい、はい」

「まず、冬ですね。ひたすら雪との闘いです。朝起きて家から出るために、除雪しないといけないですから。1日に2~4時間は除雪してると思います。一気に雪が降った日は、1日中除雪する日だってありますね。そうこうしてると春が来て、田んぼ作業が始まり、6月の田植えまでまっしぐらです。そしたらすぐ夏になって、お盆過ぎからは、お祭りの練習が始まり、祭りが終わったら秋には稲刈りです。で、また冬が来る……。その上、消防団や地区の役員なんかもやってるので、四季に応じて予定がぎっしり入るんです」

 

豪雪期の飯山では一晩でこれくらい雪が積もります。

 

「すごい、忙しいですね」

「そうこうしていたら、あっという間に1年が過ぎちゃうんですよ。ここで暮らすうちに、『気づいた時には歳をとって死んでいるだろうな』って思うようになりました。その感覚が、自分にとってはすごく良かったんですよね」

 

「なるほど……実は私も『生きるのがしんどい』タイプなので、その気持ちはなんだかわかる気がします。短命でありたいってことではなくて、何かに没頭している間に人生が過ぎたらいいなぁって感じですよね。その感覚は、小林くんにとって救いみたいなものでしたか?」

「そうですね。上京して引きこもっていた時の、延々と将来や自分のことを考え続ける時間は、本当に苦痛でしかなかったので。『こんなことこれから先ずっと考え続けるなんて、マジでダルい、最悪じゃん』って思って、何もやる気が起きなくて」

「はい、はい」

「だけど、その時間があったからこそ、いろいろな宗教観とか哲学に出会えたっていうのもありますね。藁にもすがる思いで何か答えを求めて、いろんな本を読んだり、映画を観たり、通ってたFラン大学の薄っぺらい授業を聞いたりしていました。そこで日本人の『八百万の神』の宗教観だったり、仏教の『今生きているこの世がすべてじゃなくて、極楽浄土や地獄って世界もあって、徳を積んで死んだら極楽浄土へいきましょう』っていう考え方を知ったんです。それを聞いて、『ああ、やっぱこの世は別にそんなに良いもんじゃないんだ。絶対戻ってきたくないよな。極楽浄土へ行きたいな』って思って」

「うんうん」

「でも、だからといってこの世を自分で強制終了させてもダメっぽくて。それで、この世よりもっと辛い地獄に飛ばされるのも絶対いやだし。結局、極楽浄土へ行くにはちゃんと自分の人生を全うするしかない。そのためには、もう自分のこととか人生のこととかグダグダ考えないでいい、さっと終われる場所に住むのがいいなって。それって飯山がベストなんじゃない? って思うようになりました」

「ああー、なるほど」

「僕たちって、すごい選択を問われる世代だと思っていて。何やっても自由だし、やりたいことは? 好きなことは? ってずっと聞かれる。でも僕は、どこに住むとか何をしたいとかを考えるのが、その時からすごい面倒くさくなっちゃったんです。それなら、『地元の飯山で暮らす』っていう軸を立てちゃえば楽じゃないですか。もう考えなくていい」

「確かに」

「うちのばあちゃんとか特になんですけど、僕らとは真逆の生き方をしてきたというか。住む場所も選んでこなかったし、結婚もお見合いみたいなものだし、仕事も農家以外ほぼ選択肢ない、みたいな。でも、自由に育ってきた僕らよりも、ばあちゃんたちのほうが暮らし方がすごい自由なんですよ」

「選択肢がないのに『自由』って、どうしてなんですかね?」

「僕らって何か行動する時、すでに選択肢がいくつもあるから、頭で選択してから動くじゃないですか。ばあちゃんたちは選択するっていうよりも、今目の前にあるものとか環境でどうにかするしかないって状態でずっと生きてきたから、動きに、僕らみたいな『選択する』っていうラグのようなものがないように感じるんですよね。一つ一つの動きが自然というか、のびのびしてるというか」

 

(撮影:小林直博)

 

「なるほどなぁ」

「だから、自分もごちゃごちゃ頭で考えず、生まれ育った場所で死ぬまで生きていくって決めたほうが、自由にのびのび生きられるって思ったんですよね。それに、やっぱりどこに住んだって生きていくことが大変なのは変わりないなって、いろんな地域に旅行したり取材に行ったりして感じました。どこにだって、良いところもあれば悪いところもありますよね。その人に合うか合わないかだけで」

「そうかぁ。それで、小林くんは『ここを出ない』って決めたんですね」

 

 

飯山に住んでいるだけで「おもしろい人」になれるかも

「小林くんって明るいし、みんなに好かれている人だから、いつも楽しそうだなって思っていたんです。だから『生きるのがしんどい』って話も意外でした。ちなみに、『この世に帰ってきたくない』っていう気持ちは、なぜあるんでしょうね?」

「何でですかねえ。小さい頃からいろんなことを見たり聞いたりするのが好きで、人の話を聞いたり、テレビ、雑誌、ネットも大好きだったんですけど、よりリアルなものを求めていくうちに、世の中には戦争や差別もあるし、全然楽しいことだけじゃないよなって思うようになったんですよね。根はめちゃネガティブです」

「へえー、そうだったのか……」

とりあえず、自己肯定感が低いんですよ。うちは、ばあちゃん、両親、兄弟3人の6人家族で、世間一般的にみたら、ごく普通の家族だったと思うんですよ。なんなら恵まれた家庭だと思うんですけど、それでも昔からさみしさを抱えてましたね」

「それはなぜなんでしょう?」

「俺は三兄弟の真ん中なんですけど、子供ながらに自分だけ母ちゃんを独占できていないっていう気持ちがあったんですよね。うちの兄貴は最初の子供だから、新しいものを買ってもらえたりする。弟は末っ子だから、母ちゃんがわかりやすいくらい超甘くて。弟が生まれた時に、夜もっと母ちゃんと一緒に寝てたかったけど、我慢してばあちゃんの部屋でばあちゃんと兄貴と寝ることにした記憶がうっすらあります。別に、母ちゃんに対して恨みとかまったくないですけどね」

「ああー、それはさみしいですよね」

「今でも覚えているんですけど、俺、よく弟を保育園まで迎えに行っていたんです。でも、それは弟のためじゃなくて、母ちゃんに褒められたいからだったんですよね。自転車で迎えに行って、弟は走らせて、『早く来いよ! おせえな!』って自分だけ自転車乗って(笑)。で、母ちゃんに報告する時は『俺、今日迎えに行ったんだけど、あいつチンタラしててさぁ』って弟のことを悪く言って、『ありがとう』って言わせたり」

「(笑)」

「あと、弟はよくものを買ってもらうのにすぐなくす子だったんです。俺は買ってもらったもの大事にしているのに……。それである時から、弟が買ってくれたものを俺が隠すようになるんですよ。弟が『ない、ない』って探しているのを、俺が見つけたふりをして『母ちゃん、あったよ!』って言って母ちゃんに褒めてもらったりとか。今思い出すとやばいですよね。めちゃくちゃ最悪だな……」

 

小林家の家族写真

 

「そうかぁ、とにかくお母さんに見てほしかったんですね」

「なんか、その頃から常にさみしさとか、孤独感を抱えていたと思います。他の地区の友だちは同級生と遊んでるのに、自分は近所に同級生がいないさみしさとかもあって。そのさみしさの穴をうちのばあちゃんが埋めてくれたのはデカかったですね。でも、飯山に帰ってきた時、ここに住んでいたら自己肯定感が上がるかもって思ったんですよね

「えっ、それはどうして?」

「『地方創生』と言われて地方へ移住する人が増えているとは言っても、飯山って、年々人口が減っていってるんですよ。やっぱり、今の価値観でここで暮らしていくのって大変で、みんな暮らしやすさを求めて出ていっちゃう。でも、それってここで暮らせる若者って少ないってことだから、『少ない』俺には希少価値があるんじゃないか、みたいな」

「ああ、なるほど!」

「こんな豪雪地帯に暮らす若者ってだけで、『おもしろい人』になれるんじゃないかなって思って。僕は、おもしろい人や楽しい人に憧れているんで……」

「あはは。『鶴と亀』を作っている時点でおもしろい人ですけどね」

「それに、ここだと嫌でも人と助け合わないと生きていけない、一人では絶対に生きていけないと思ってて。日々暮らしてたら、いろんな人とか組織と接する機会があるわけじゃないですか。そのたびに、自分が若者だから接する人たちがすごく喜んでくれてると感じることが多くて。それだけで徳を積んでいる気になれるし、極楽浄土に近づけてるかもな、とか思いましたね。

人生が早く過ぎるし、おもしろい人になれるし、徳も積める。ああ、飯山っていいところかもって。どうしてもここに住んでいることを肯定したくて、無理矢理出した答えかもしれないですけどね」

 

特別でも何でもない、全体の一部だという感覚

「やっぱり、「なんで自分はここに住んでいるんだろう」って思うこともあるんですか?」

「冬は絶対そうなりますね。除雪している時は、『俺、なんでこんな雪の中で暮らしてるんだろう』って必ず考えちゃいますよ。どれだけ除雪しても雪が降り続けるから、『これ、何してるんだろう? また積もるのに』って」

「きっと、そういう気持ちになる時もありますよね」

「だけど、それを肯定したいんですよ。だからスノーボードを超楽しんで、夜に音がなくなる静けさを感じて、積もりに積もった雪山を見て水に困ることない! って謎に安心したりして。定期的に疑問が湧いてくるにせよ、『ここで暮らす』ってことさえ決められたら、そんなの肯定はいくらでもできるんですよ

「それ以上に小林くんを苦しめるのって、やっぱり『自分のこととか人生のこととかモヤモヤ考える』ことなんでしょうか」

「そうですね、自分のことを考えるのが苦痛なんだと思います。だけど、こっちに帰ってきてからは、自分のことを考えなくていい時間が増えているんですよね。例えば、スノーボードをしてる時間は自分のこととか一切考えてないんですよ。『どうトリックを決めよう』『かっこよく見られたい』とかじゃなくって、山の地形に沿って気持ちよく滑るだけみたいな。その山と一体化した時の感覚が、なんとも言えなくて」

「へえー」

「それは、釣りをしている時にも思いますね。川にルアーを投げて待っている時って、自分も川の一部になったような気持ちでやってるんですよ。そこに魚が食いつくと、その環境とひとつになる感覚がある。自分のことはどうでもいい、そういう瞬間がめちゃくちゃ最高なんですよね

「四季に合わせて生きる、環境とひとつになって生きる……それはある意味で『無我』みたいな?」

「そうそう。ちょっと話がずれるかもしれないですけど、僕、昔から自分の中に好きなリズムみたいなものがあって。本を読んでいても、音楽を聴いていても、リズムを味わっている感じがあるんです。ここには春夏秋冬、どこを切り取っても心地よいリズムがあって、その四季のリズムに合わせてノッてるような感覚なんです。逆に、心地悪いリズムもありますよ。自分はこういうふうに揺れていたいのに、みんなは違う揺れ方をしているとか」

 

「東京で引きこもったり、編プロを辞めてしまったのは、リズムが合わなかったからかもしれないですね。生まれ育った土地だからこそ、慣れ親しんだリズムが流れているってことはあるのかもしれない。ルーツや故郷をそういうふうに見えるのはおもしろいなぁ」

「そうですね。この数年は、身体的にそんな感覚を味わっています。頭で考えたり、言葉にすることももちろん大事なんだけど、今の自分はそこに限界みたいなものを感じていて。こっちに住んでいると、これ絶対身体的に体感しないとわかんないでしょ、みたいなことしかないんですよ。だから無理して情報化しないようにしてます。身体的感覚を大事にして、リズムを感じながら生きるのがすごくしっくり来ていますね」

「あえて頭で考えて選ばないことで、リズムに身を委ねられるというような」

今自分のこととか、ほんとどうでもいいんですよね。僕はその土地の在来種みたいに、環境の一部になれたらそれでいいんです。それこそ、じいちゃんばあちゃんたちはそんな感じに見えますね。めちゃくちゃ広い視点で見たら、うちらなんてデカい地球の中の一部分の一瞬でしかないじゃないですか。もう、それでいいかなって。特別でも何でもない、ただの全体の一部だっていう感覚」

「はい、はい」

「除雪をしていると、やってもやっても終わらなくて『これって一体何になるんだろう』って思うんだけど、多分そこには意味はないんです。まるで玉ねぎの皮をむくみたいに、最終的には何もないのにそこに向かって繰り返し動き続けている。でも、動きを止めないで、ずっと除雪し続けていけば、勝手に時間が過ぎて勝手に春になって、すごくそれが気持ちいいんですよ。どんどん季節が過ぎていく中、気づいたら死んでる、っていうのが理想ですね

「私自身、『生きる意味』とか『やり遂げたいこと』とかいろいろ考えちゃうんだけど、ただ生きるだけで良いんでしょうね。小林くんの話を聞きながら、そんなことを思いました」

「本当、そうですね。いつも問い直してもいるけど、ここで生活していると、『ただ生きる』ことを肯定できるんです。だから、僕はここに暮らしているのかもしれません」

 

インタビューの間もずっと雪が降り続いていて、終わった頃には除雪した場所にまた雪が積もっていました。このままでは車で出られないほど、降り積もっています。

 

「ちょっと俺、除雪してきます!」

 

そう言って、テキパキと除雪機へと向かう小林くん。除雪も運転もできない私は、その姿を玄関から見守ることしかできませんでした。本当に、自然の中では無力なんだなぁと痛感します。

 

どこに暮らすのか、何を仕事にするのか、自分は何をしたいのか。

 

選択肢が増えた今の時代は、もちろん素晴らしさもある一方で、私たちは常に「自分」というよくわからないもののことを考えさせられてもいます。

 

「除雪をしていると、やってもやっても終わらなくて『これって一体何になるんだろう』って思うんだけど、多分そこには意味はないんです」

 

小林くんはそう言いましたが、もしかしたら「自分とは何か」を考えることもそうなのかもしれません。まるで玉ねぎのように、どれだけ皮を剥がし続けても、そこには何も残らないのかもしれない。

 

「でも、動きを止めないで、ずっと除雪し続けていけば、勝手に時間が過ぎて勝手に春になって、すごくそれが気持ちいい」

 

その言葉は、まるで「生きる」ことそのものを表しているようにも聞こえました。

 

過酷な場所だけれど、「ただ生きる」ことを肯定してくれる場所、飯山。

そこで暮らす小林くんは、とても清々しい顔をしています。

 

撮影:納谷ロマン

編集:くいしん


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1396

Trending Articles