突然ですが、ここはどこだと思いますか?
地元の野菜やお酒、お菓子に調味料が揃ったにぎやかなマルシェに……
おしゃれな洋服のセレクトショップ……
うねうね元気なキャラクターたちが満載な、不思議なデザインのピザ屋さんなどなど。
たくさんの素敵なお店が立ち並ぶここは、吉祥寺? それとも下北沢?
いえいえ、実は東京ですらなくて。
この街があるのは、栃木県。それも、30mほどの通りの風景なんです。
ここは栃木県にある「黒磯」という街。
温泉や保養地としても知られる観光地「那須塩原エリア」にほど近い場所にあるものの、いわゆる「観光地」とは少し違った風景が広がっています。
こんにちは、ライターのいぬいです。芯のあるかっこいいお店が集まっている街があると聞いて、素敵なショップ大好きマンとしていてもたってもいられずやってきました。
黒磯にあるのは、店主たちの美学が詰まった、センスが光るたくさんの個人店。独立した店が集まって、魅力的な「通り」がいくつも生まれているのです。
僕たちジモコロ編集部が実際に遊びに行って、「めちゃくちゃかっっこいい〜!!」と感じたお店だけでも、MAPに落とせばこんなにたくさん。
駅前と、そこからほど近い通りにピンが集中しているのがわかるでしょうか
さらに特徴的なのが、この街には多くの若者が働いていること。「黒磯にある、あのお店で働きたい」と考え、移住してきた人々が大勢いるのです。
写真中央に映るとしたかさんは、地元出身。黒磯にある宿とレストランとマルシェの複合施設『Chus』で店長として働き、黒磯に移住してくる多くの若者と関わり合っています。
「黒磯には、移住してきた若い方が多いんですよね?」
「そうですね。自分がこれからどんな風に暮らしたいのか?と考えるなかで黒磯に出会い、この土地を本当に好きになって移住してくる人が多いと思います」
「それだけ、この街には魅力があるってことなんですね」
「本当にいろんな人が来ていますよ。東京で雑誌編集の仕事をしていた人も、関東と関西で大きなマルシェイベントを運営していた人もいるし。僕らよりもっともっと若い、15歳の女の子もいますからね」
「15歳の女の子が!? 移住してきたんですか!?」
「そうなんです。しかも、インターンとかアルバイトとかって扱いじゃなく、僕らと一緒にバリバリ働いてくれていますよ」
その女の子とは、香内奏楽(こううち・そら)さん。大分でレストランを営む両親の元を離れ、ひとりで黒磯の街へとやってきたそう。今は、としたかさんと同じ『Chus』で働いています。
「Chusで働くと、いい意味でちゃんと責任を負わせてくれるんです。みんな血も繋がってないけど、一緒に同じ場所で働いて、暮らして、毎日いろんな人が来てコミュニケーションが取れる。いまやりたいことにぴったりだったんです」
そんな風に、そらさんは語ります。
ここまで若者を惹きつけ、受け入れる黒磯の魅力とはなんなのか? 彼女の「やりたかったこと」とは?
この「黒磯」という街で働くことを選んだそらさんに、詳しく話を聞きました。
※取材は新型コロナウイルス感染症対策に配慮したうえで行い、撮影の際だけマスクを外しています。
「街で働く最年少」は、なぜ黒磯へ?
「今日はよろしくお願いします! そらさんは、Chusのスタッフのなかでは最年少ですか?」
「はい! 今年の3月に中学校を卒業して、もう少しで16歳になります」
「その年齢で親元を離れて、見知らぬ土地で暮らしているんですね……。Chusとは、どうやって出会ったんですか?」
「元々、私が生まれる前に両親が黒磯で働いていたんです。Chusの代表の宮本吾一さんと両親が、その頃から友人だったらしいんですよ。その後も1年に一度は会って一緒に遊んでいました。だから、私は『吾一くん』って呼んでいて」
「社長をくん付け!? 仲がいいんですね……!」
「そのころは親戚のお兄ちゃんみたいな存在だったので! Chusで働きはじめてからも、そのまま呼んじゃってます」
「ちなみに、働こうと思ったきっかけは何だったんですか?」
「両親が大分でレストランをしていて、小さい頃から店を手伝いながら育ちました。そこでずっと、両親から『自立しなさい』って言われていて。欲しいものがあったら、その金額分のお手伝いをして自分で買うようにしていましたし、『働く』ことに自然と興味がありました」
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そらさんの両親のお店「レストラン サルディナス」
「なるほど……。でも、そのまま実家の店を手伝うこともできたじゃないですか。なぜ家を出たんです?」
「自分自身、やったことのないことに挑戦するのが凄く楽しみなタイプなんです。接客の仕事とか、料理もそうで。実家の店で働くのも楽しみだったけれど、両親と一緒に働くとなると、どうしても慣れとか甘えが出るかもしれない。注意されても『いまやろうと思ってましたけど︎』とか(笑)」
「そこは年相応な感じなんですね。確かに親と一緒に仕事をするのって、いろいろ難しそうだな〜」
「だからこそ、もっと違う場所で、いろんな人と関わってみたいって思ったんです」
「とはいえ、15歳のころってもっと遊びたくないですか!? なんでそんなに働きたいって思ったんでしょう」
「学校に通ってたころから、座ってする勉強よりも、実際に人と会って話したり関わったりすることが勉強になる…っていうほうが面白いな、ってずっと思ってたんです。Chusみたいなお店で働いていると、いろんな人と出会えるし、いろんな人の考え方に触れられるなって」
「学校では出会えない人にも出会えて、コミュニケーションをとるのが楽しいってことですか……?」
「そうですね! だから、私にとってはお店で働くのって『面白そう』だし、『楽しそう』なんですよ。それでいろいろ考えた時に、吾一くんのことを思い出したんです」
「私が両親と一緒に黒磯を離れてからも、吾一くんは、うちに毎年遊びに来てくれていて。会うたびに『力になれることがあったらいつでも言えよ!』と言ってくれてたので、『頼るなら今だ!』と思って連絡して、今に至りました」
「早く社会に出たいと思っていても、15歳で自分に合った職場を見つけるのは簡単ではないと思います。そんなときに、親戚みたいな吾一さんがいてくれたんですね……。あ! 噂をすれば」
「おつかれ〜。どう? 話は聞けてる?」
「吾一さん! じゃあこのまま、吾一さんにも一緒にお話を聞かせてください」
雇ったスタッフには「サバイブして欲しい」
「吾一さんは、どうしてそらさんを雇用しようと思ったんですか? やっぱり挑戦する若者を応援したいぜ、みたいな?」
「応援したいぜ、とかはないですね(笑)。むしろ、そらのことは“友達”だと思ってたから、社員として迎えるのはちょっと抵抗あったかな」
「友達に、年齢とか関係ないよ」と笑う吾一さん
「抵抗というと?」
「店をやっていると、友達に『一緒に働きたい』って言われるのが一番きつくて。万が一、自分が大事にしている『Chus』って場所と、大事にしている友達が合わなくて辞めたとき、その人は下手したらプライベートでも遊びに来れなくなるから」
「確かに関わり方の変化で、一緒に遊べなくなるのは辛いですね」
「それに、Chusは正直ハードな場所だと思うんですよ。レストランと宿だから、業態的にどうしても働く時間が長くなる」
「どちらも9時〜17時で終わり、とかではないですもんね。そういう話は、そらさんも会社に入る前に聞いていたんですか?」
「いろいろ教えてもらいました。吾一くんに言われて印象的だったのは、『会社に守られるんじゃなくて、会社を利用してどうサバイブするかを考えてほしい』って言葉でした」
「サバイブ?」
「"雇われる"って感覚は無くなればいいと思っていて。ウチのいまの事業として、Chusと、『バターのいとこ』ってお菓子のブランドとカフェ、『あくび』って居酒屋をやってるんだけど」
黒磯駅から車で20分ほど走った那須エリアの山間に、銘菓『バターのいとこ』の工場とカフェを運営している(撮影:藤原慶)
Chusから徒歩すぐのところにある居酒屋『酒と肴 あくび』。定番メニューに加えて、料理人の立石さんがお客さんと話しながらその日ごとの料理を提供してくれる半割烹スタイル
「『スタッフのみんなは労働力』みたいなことでは全くなくて。この会社を使って、それぞれがどう生存していくかっていうのをずっと考えてもらってる」
「会社を使って生存する……もう少し詳しく聞いてもいいですか?」
「たとえば『バターのいとこ』で働くにしても、どうすれば1枚でも多く生産できるか?どうすればお客さんに届けられるか?を一人ひとりに考えて欲しくて」
「一人ひとりが頑張らないと会社なんていつ無くなるかわからないからね、って言われて。じゃあ、私の働きだって責任重大なんだ!って思えたんです」
「つまり、『会社にいるから生活は安泰だ!』じゃなくて、『会社をなくさないために、自分が頑張らなきゃ!』という」
「そうですね。それに、会社を守ることって、みんなを守ることだと思うし」
「そうそう。スタッフのみんなが会社の生き残りについて考えることって、結果的にスタッフ個人個人の生活を守ることにつながると思っていて。言ってしまえば『自走する組織でいてくれ』ってことですね」
「一人ひとりが主体的に『どうすれば会社も自分たちも生き残れるか?』を考えながら働くって考え方なんですね」
「だからこそ、働きたいって相談を受けたときには『そらのことも特別扱いは出来ないよ』って伝えました」
「厳しい!」
「そらにも当時話したんだけど、俺は会社を『船』みたいなものだと思っていて。『俺たちはあっちの島に向かいます』ってのが決まってるのに、『でも私はあっちの島に行きたいのに』って人は乗らないほうがいい」
「島っていうのは、会社が目指す方向性とかってことですか?」
「そうだね。あと、個人がどうありたいか、とかね。共感できる場所にいたほうが活躍できるでしょう。ただ、乗船する権利自体は、基本的にどんな人でも持っていると思う。その船に乗るかどうかを選ぶのは、自分であってほしいんです」
「つまり、それぞれ自分の思いを持って参加できる場所に参加してほしい、ってことなんですね。そらさんは、そういう吾一さんの思いを聞いてどう返事をしたんですか?」
「話をしてから、『一週間、しっかり考えてみて』って言ってもらって。でも、やっぱり私は吾一くんやChusと同じ方向を向いて働いてみたいなと思えて。だから、一週間後に吾一くんに電話をして、『私もその船に乗せてください』って伝えました」
「もう、その言葉がすごい嬉しくてさ。『その船に乗せて』って、伝えたことにちゃんと向き合ってくれたから出てくる言葉じゃないですか。だから、『それなら一緒にやろう! やるって言ったからには信じるよ』って感じでしたね」
「お互いに、一緒に働く仲間をめちゃくちゃ尊重しているから出てきた言葉だったんですね……。友達だったそらさんが、会社の一員になった瞬間ですね」
「そらさんは、実際に働いてみてどうだったんですか?」
「最初の頃は、今よりもたくさん失敗していたし、大変でした。こんなにミスばかりして、Chusのスタッフのみんなはどう思うんだろうって考えてしまって」
「それは不安ですよね。しかも年齢が離れていると、気軽な相談もしづらいだろうし」
「でも、一度大きなミスをしたときに、店長のとしたかさんに『仕事終わった後にちょっと話したいんです』って伝えたんです。『さっきは本当にごめんなさい。自分のことだけど、信用を無くしてしまったんじゃないかってすごく怖くて』って話をしに行って」
「それで、どうなったんですか?」
「としたかさんは『それは大丈夫だよ、ちゃんと言ってくれてありがとう』って。そのときに、たとえ失敗しても、きちんと向き合い続ければ信用はなくならないんだって教えてもらえたと思います」
「思い出し安心」で笑っちゃうそらさん
「めちゃくちゃいい先輩たちですね……」
「そうなんです。それで私も確信が持てました。大切なのは話し方とかじゃなくて、相手の働く姿勢とか働き方に関して、しっかりリスペクトを持って接することなんだって。その気持ちがしっかりしていて、筋が通っていれば自由にやっていいんだって」
「時々、そらさんが15歳であることを忘れそうになりますね……。20代、30代でも難しい話にちゃんと向き合っている。僕、そんなこと言えませんよ」
「元々、失敗をそのままにしたくないタイプなんです。仕事中に失敗しても、そのときに周りのみんながどう思ったかな、とか、自分がどう考えたのかをちゃんと振り返りたいなって思ってて」
「失敗を、周りの人の意見を聞くチャンスにしたんですね。そらさんも偉いし、周囲も本当に対等に受け止めてくれてる。それってどんな仕事においても、本当に大切なことだなあ」
そらさんから、仕事に対する姿勢を学ばせてもらって背筋が伸びてきました
「僕からお願いして、お母様にも連絡させてもらったじゃないですか? あのあと、電話でお話を聞かせてもらって」
「はい! ちょっと照れくさいですけど、母はなんて言ってましたか?」
「『そらは『自分で決めたい』って性格だったから、それに合う形で一つずつ決断をしてきていると思う。世間に育ててもらうことが向いているんじゃないか、と思って送り出したけれど、Chusの人たちが本気でぶつかってくれているのを見て、大丈夫だなと思えた』そうですよ!」
「わあ、そんな風に言ってたんですね。母とはよく仕事の話もしているので、理解してくれているのはわかってたんですけど。よかったです」
「それに、黒磯のことも『あんなに小さい街なのに洗練されていて、仕事のレベルも高くて、美味しいものがある。そらにとって最初に経験する社会が、黒磯でよかった』って話していました」
「そうですよね。私も黒磯でよかったなと思います」
「ちなみに、そらさんの将来の夢ってなんですか?」
「いま考えてる夢は、自分のお店を持つこと。20歳の誕生日から1年間だけ、お店をオープンしようと思っていて」
「期間限定の営業をするってことですか? それはどうして?」
「Chusで働いている今って、ここで出会ったいろんな人からすごく期待してもらっている時期だなって思うんですよね」
「たしかに、みんな『大人になったら、この子は一体どうなるんだろう?』って思ってると思います」
「だからこれからの5年間でしっかり接客とか料理、サービスのことも詳しくなったり、技術を磨いたりして。20歳になったら自分のお店で、期待してくれていた人たちにいいサービスをしたいんです」
「いい夢ですね!」
「ただ、これからいろんな人と出会うなかで、やりたいことが変わるってこともいい意味であると思うんです。そうやってやりたいことを考え続けたら、Chusで働くなかでたくさんの人と出会ってきたことに、意味を持てるんじゃないかなと思います」
黒磯は「みんながセルフィッシュ」。だから、向き合える
「そらさんは働きたい場所を見つけて、夢も持っている。本当にいい場所に巡り会えたんだなあと思います」
「そういうマインドって、周囲の環境で決まるのかもね」
「環境で?」
「黒磯では『これをやってます』って誰かに言ったら、自然と『じゃあ次はどうするの?』って聞かれるんです。だから自分も、『やらないと!』って考えられるというか」
「それも不思議なんです。そらさんはもちろん、沢山の若者が黒磯の街に来て、働いているじゃないですか。それも個人店主たちのこだわりの強そうなお店に入って」
「黒磯には『挑戦する人を受け入れる土壌』みたいなものがしっかりとある気がするんです。それってなんなんでしょう?」
「いろんな人が、『街に受け入れられた経験』を持ってるからじゃないかな?いまの黒磯でお店をやってる人たちって、世襲でお店を継いだり、大手のお店に雇われたわけじゃなくて。『こんなことがやりたい』って理想を持って、自分たちの手でそれぞれの居場所をつくってきた人たちなんだよね」
「店づくりに挑戦してきた先輩たちが、黒磯にはすでに多くいたんですね」
「少なくともそういうお店の人たちは、自分たちが『街に受け入れられる』って経験を持っている。だから人のことも受け入れやすいし、街全体にもそういう空気が生まれたんじゃないかな」
「なるほど……では、どうして黒磯には『自分たちの居場所をつくる』って考えが自然と広まっているんでしょう?」
「一番大きなきっかけは、約30年前に『1988 CAFE SHOZO』ってお店ができたことだと思います。強い美学を持ったあのお店ができて、全国からカフェ好きが集まってくるようになって。『1988 CAFE SHOZO』に憧れて、わざわざ移住して働くって人もたくさんいた」
『1988 CAFE SHOZO』に多くの若者が集まっていた当時を、吾一さんも知っている
「『1988 CAFE SHOZO』の菊地省三さんは、店のある通りの物件をいくつも借りて、若い人にどんどん店を任せていったんだよね。古道具屋さんに服屋さん、花屋さん、雑貨屋さんと、『1988 CAFE SHOZO』と同様に美学を持った店が集まって“通り”になっていった。だから歩いて店を見て回るだけでも、楽しい街になっていて」
「確かに、『1988 CAFE SHOZO』の前の通りには、特に集中してお店が多いですよね。そんな背景があったなんて……」
通りに面したセレクトショップ『LUNETTES+山の道具屋』も、元々は『1988 CAFE SHOZO』系列の物件だったという
「そうやって立ち上げたお店も、ほとんどはもう省三さんが若い人たちにオーナーの権利まで譲って、独立した店になってる。でも、あれもきっと『次世代にチャンスを』って話でもないと思うんですよね」
「というと?」
「『黒磯って街を楽しくするにはどうしたらいいんだろう』って考えのほうが、大きかった気がする。あくまで俺の推測ですけど」
「街のことが、当たり前のように自分ごとだったんですね。自分たちが住む街をよくするため、というか」
「昔からある黒磯の空気みたいなものなんだよね。だから、外から来た人もチャレンジしやすいし、そらみたいな若い子だって受け入れられやすいのかも。みんな『やりたいの? じゃあやればいいじゃん』って感じなんだよね」
「そうですね。街の人たちは私のことを15歳としてじゃなくて、一人の人間として向き合ってくれているな、って思います。そういう空気だったから、私もここに来やすかったし」
「今の街がいろんな人を受け入れている背景には、そもそも『自分の好きなように店をつくってきた』人たちがいたんですね。だから、独立する個人がいたら応援する。街のなかに、共通する『インディペンデント精神』みたいなものが流れているというか。誰かが旗を振ってやる『まちづくり』の文脈とは、全然違う気がします」
「実はみんな自分勝手なのかもね。セルフィッシュというか」
「吾一くんとか、街の人をみていて思うのは、『周りのみんなが幸せなほうが、自分も幸せ』みたいな感じなのかなって」
「そうだね、俺の場合はむしろ『自分が幸せになりたいから、周りの人が幸せになる状況をつくろう』ってことを、お店をやるときに考えてるかもしれない」
「『バターのいとこ』の工場で取り組んでいる、障害のある人の雇用もそうですよね」
『バターのいとこ』の工場では、障害のある方々と一緒に働くための環境づくりを考えることが、子育て中の主婦層などをはじめとする地域の人々の働きやすさにも繋がっているという
「Chusでは『那須の大きな食卓』というのをコンセプトにしていて。生産者さんも、食べる人も、この街に遊びに来る人も、住んでる人も、外国の人も、みんなで同じ食卓につけるように関わり合えたらと思ってる」
「みんなを幸せにする店づくりも、『そういう街のほうが、住んでる自分が幸せだから』って理由だとすごく説得力があります。結局、自分が暮らしたい街をつくるためなんですよね」
「そういう考えを持って店をやってる人たちって、みんなかっこいいんです。それに」
「なんだか、そっちのほうが楽しそうですよね」
「純粋で、説得力のある言葉だ……」
「こういう街のあり方が、他にも増えていくといいと思うんだよね」
「一人ひとりが独立して、街のことや会社のことを考えているからこそ、お互いのことも受け入れ合える。黒磯にたくさんの若者が働きに来る理由も、かっこいいお店が多い理由もわかった気がします。今日はありがとうございました!」
まとめ
美意識のある店が立ち並び、多くの若者たちが「ここでチャレンジしたい」と集まってくる黒磯の街。そこにあったのは「若手を育てよう」「未来のために若者を受け入れよう」という意思ではなく「インディペンデントな人を受け入れる」という街の空気でした。
人と人が対等に接しているから、覚悟がある人には仕事を任せるし、力になれることはなってあげる。Chusで生まれている「働くこと」の価値観を通して、黒磯の街で起きていることが少しずつ見えてきた気がします。
この街で働く人たちは、いつも真剣に人と向き合っているように思います
インタビューのなかで話された「自分が幸せになりたいから、周りの人を幸せにする」という考え方も、一つの真理だと感じました。人を応援する理由は、「相手のため、誰かのため」だけじゃなくてもいいのかもしれません。
「街に活きのいい若者がいると楽しいし、自分も幸せ」という理由で応援したっていい。自ら楽しい暮らしをつくってきた人たちの、いい意味での“セルフィッシュさ”が、黒磯という街を柔軟に造り替えながら、盛り上げているようでした。