こんにちは、ジモコロ編集長の柿次郎です。地域活性化が叫ばれる昨今ですが、ローカルメディアの存在が発信の起点となりつつあります。ジモコロも一応ローカルメディアという位置づけですが、他にもマガジンハウスが運営する『colocal(コロカル)』、全国の暮らしにスポットをあてた『灯台もと暮らし』など、規模は違えどおもしろいメディアが数多く存在します。
長野県の爺さん婆さんのファッションにスポットあてて紹介したフリーペーパー「鶴と亀」がすごい。 pic.twitter.com/SciAwJF8IW
— かりそめ (@krys_ysk) 2015, 9月 17
一方で“紙の文化”を生かした地域発のフリーペーパーも根強い人気を誇り、独自のカラーを打ち出したものが全国各地に増えているのをご存知でしょうか。中でも最近ネット上で話題になっているのが長野県奥信濃発のフリーペーパー『鶴と亀』です。
田舎に住むイケてる爺ちゃん婆ちゃんを切り取った『鶴と亀』は、長野県飯山市に住む小林兄弟(兄=徹也、弟=直博)が2013年8月に第壱号を発行。2015年8月中旬、第四号を全国各地の書店やカフェ、ゲストハウスなどに約10000部配布しています。ジワジワと口コミで人気が広がり、今では配布分がすぐに無くなってしまうほどの人気なのだとか。
この感じ、最高じゃないですか?
ちょうどジモコロ開設準備中(2015年4月頃)に『鶴と亀』を読んだ僕は「こんなにも個性的なフリーペーパーがあるのか! 今すぐ作ってる人に会いたい!」と思い立ち、共通の知人経由で弟の小林直博くん(以下、小林くん)に声をかけました。
その思いはすぐに実現し、深夜遅くまで酒を飲んで語り明かし、そのまま自宅に泊める仲にまで発展! さらに長野の野沢温泉取材に合流してもらって第参号制作後のインタビューを敢行しましたが、機を見計らって今回の第四号配布直後にもう一度小林くんと再会しました。
というわけで今回のインタビュー記事は、前後編にわたって『鶴と亀』に懸ける小林くんのアッツアツな想いを1万字レベルでお届けします。そもそも、なぜこんな強烈な印象を与えるフリーペーパーを作れるのか? 第参号(2015年3月配布)から第四号(2015年9月配布)にかけて心境の変化はあったのか?
長野県の豪雪地帯・奥信濃に住む若者が、東京にインパクトを残す手法と考え方に地域振興の新たな可能性を見出すことができるかもしれません。読み飛ばし厳禁!
話を聞いた人:小林 直博
編集者兼フォトグラファー。1991年生まれ。ばあちゃん子。生まれ育った長野県飯山市を拠点に、奥信濃らしい生き方を目指し活動中。
『鶴と亀』のルーツはヒップホップだった
「まずは鶴と亀のコンセプトを教えてもらっていいでしょうか。初めて読んだときの衝撃は今も忘れられないです」
「ありがとうございます。鶴と亀は、地方にいる爺ちゃん、婆ちゃんをスタイリッシュに発信すること。そして、地方にしかできないものを地方から発信するって感じで作ってますね。地元である長野県のすごい山奥から、かっこいいものを発信していくことに意義があるんじゃないかなと」
「やりはじめようと思ったのはいつ頃なんですか?」
「以前から兄貴と一緒に『地方で何かおもしろいことやりたいね』というのはよく喋っていて。具体的な話が出たのは…確か2013年のお正月ですかね。当時僕は埼玉の大学に通っていて、4年生になって時間的に余裕があったんですよ。兄貴も東京でしばらく仕事したあと地元(飯山市)に戻ってましたから。で、お正月に実家で話してたんですよ。昔から興味があったフリーペーパーの話とか、二人とも婆ちゃんっ子だったので婆ちゃんの話とか。それがふとした瞬間に重なったというか」
「兄弟の想いが重なって地元のフリーペーパーを作ろう!って良い関係ですね。僕は大阪出身なんですけど地元愛が全然ないので羨ましいです」
「昔は自分の地元が好きじゃなかったんですよ。山と畑と爺ちゃん婆ちゃんしかいなくて。こんな田舎にずっと居られるか!って想いはずっとありました。それに兄貴の影響でヒップホップとかストリートカルチャー、ファッションが大好きだったので、東京への憧れは人一倍ありましたね」
「おお…僕もヒップホップ好きなので気持ちは分かります。じゃあ、大学生活の中で憧れていた東京のストリートカルチャーにどっぷり浸かったんですね」
「そうですね。雑誌・ネットで見ていたCD・レコードショップのディスクユニオンやジャジスポ(Jazzy Sport Music Shop)に行ったり、憧れのDJやラッパーが出演するクラブイベントも遊びに行ったりしていました。遊びに行った服屋さんで手にとったフリーマガジンの『bootcampmagazine』とか『FRANK』もかなり衝撃的でした。田舎と違って『これヤバいな』っていう感覚が東京では頻繁にあって。そこが僕の原点ですね」
「なるほど。東京で今まで憧れていたカルチャーに刺激を受けたら、そのまま東京に住み続けそうなもんですけど何かが違ったんでしょうか」
「うーん。たしかに東京では色々な出会いがあって、例えばおもしろい場所や雑誌に載ってるようなメシ屋、渋谷のレコードショップとか、そういうところにも行ったんです。でも、遊び終わって家に帰って、無性に食べたくなるのがやっぱり婆ちゃんの漬物だったんですよね。ジャガイモをつぶしきれてないポテトサラダとか(笑)」
「ああ、そういうふとした瞬間に地元を思い出すんだ」
「僕は超がつくくらい婆ちゃんっ子でしたから。毎日『婆ちゃん婆ちゃん』って懐いていて。両親は共働きだったから、小学校に上がるまで遊び相手は婆ちゃんとか近所の爺ちゃんばっかりでしたね」
「ストリートカルチャーとお爺ちゃんお婆ちゃんはどこで結びついたんでしょうか?」
「東京の文化に触れつつ、夏休みや冬休みに飯山に帰ってきた時ですね。ふいに原宿を歩いてる子たちを見るような感覚でお爺ちゃんとかお婆ちゃんを見た瞬間があって。近所の爺ちゃんのMA-1ジャケットの着方がヤバかったり、原付に乗ってるときに裏地のオレンジがババババッて風ではためいたりして『か、かっこいい!』って思ったんですよね(笑)」
「言われてみれば! 小林くんならではの視点が生まれたんですね」
「手ぬぐいを巻いた上から帽子を被るのも、すごいヒップホップっぽいなと。それで自分が今まで退屈だった世界が、実はかっこいいんじゃないかって気づいたんです。求めてたものは意外と自分たちの近くにあったんじゃないかって。それなら地元で自分のやりたいことを表現するのが一番最適なんじゃないかと思うようになりました」
「それは一度東京に行ったからこそ感じられたこと?」
「そうだと思います。渋谷にフリーペーパーばかりを集めた『ONLY FREE PAPER』という場所があるんですが、そこにはひとつのテーマに突出したものが多かったんです。猫だけのフリーペーパー、お米だけのフリーペーパーとか。そんな並びの中でも埋もれないものを作りたい、それは何だろうっていつも考えてました。その後さっきの体験とリンクして、僕の大好きな奥信濃の爺ちゃん婆ちゃんに特化したフリーペーパーを作ったら負けないぞって思えたんです。『ONLY FREE PAPER』がなければ、地元を再発見することはなかったかもしれないです」
初めての雑誌作りは、地元の人々に助けられた
「東京に触れた結果、地元の良さに改めて気づいた結果が鶴と亀のコンセプトだったわけですね。ただ、いくらコンセプトが固まっても雑誌制作の経験はなかったんですよね?」
「一応、知り合いのクラブイベントのフライヤーやCDジャケットとかを作った経験はあったんですけどほぼ独学でしたね。経験として大きかったのは『ONLY FREE PAPER』で長野発のフリーペーパーを2誌見つけて、『どうやって作ってるのか聞きに行ってみよう!』って実際に会いに行ったことですね」
「それはなかなかの行動力!」
「InDesignっていうソフトを使ったら楽だよ! 写真はPhotoshopで加工した方がいいよ!といった基本的なことから、雑誌作りに必要な仕組みまで、素人の僕にイチから教えてくれたんですよね」
「同じ長野県出身の若者がフリーペーパーを作りたい!って熱意を持って聞いてきたら、教えるのも嬉しいでしょうね。で、基本を学んだら後は取材するだけですよね」
「そうですね。まずは自分のお婆ちゃんから取材・撮影を始めました。それ以前からお婆ちゃんの写真は撮ってましたけど、改めて撮り始めましたね。第壱号に向けて地元のいろいろな人に取材させてもらったんですが、トータルで5ヶ月くらいかかったと思います」
「決して簡単な道のりではなかったと。(いくつか写真を見ながら)これはお婆ちゃんですよね? こっちのお爺ちゃんは自分の?」
「いや、全然知らない人です(笑)。自分のお爺ちゃんは早くに亡くなってるんで、僕は会ったことがないんですよね」
「ふと気になったんですけど、お婆ちゃんが押してるガラガラ(シルバーカー)って何が入ってるんですか?」
「りんごとか入ってますよ」
「え、りんご?」
「誰かに会った時に食べ物をあげるためなんでしょうね。お婆ちゃんのガラガラには、りんごに限らず食べ物が入ってることが多いんですよ。あとは仕事に使うカマとか道具系ですかね」
「未知の田舎あるあるだ。取材の苦労って具体的に何かありましたか?」
「そうですね…最初は協賛を集めるのがとにかく大変でした。まずは見本がないとダメだと思ったので、撮影が落ち着いたらすぐに協賛を集め始めました。第壱号は2000部刷ったんですけど、必要な金額を調べたら気軽に出せる金額ではなかったんですよね。まだ埼玉に住んでいた時期だったので、協力してくれそうなところに手当たり次第に電話をかけて。結果、なんとか15社の協賛が集まりました」
「電話アポだけで協賛を得るってハードル高そうだなぁ。最初の反応ってどんな感じでしたか?」
「ん~(苦笑)。まず飯山市にフリーペーパーがなかったので、フリーペーパーって何?ってところから説明しなきゃいけなかったんですよ。説明の途中で『めんどくさいからもういいや』って断られたりしました」
「もう最初の最初から説明しなきゃわかってくれないと。地元のおっちゃん、おばちゃんが顔も知らないやつに広告出してくれ!って言われても困るでしょうね」
「もうこのまま埼玉で動いてもどうにもならないと思い地元に戻ったんですよ。まずは顔見知りのごはん屋さんや知り合いに説明してまわっていたら、『なんかわからんけどがんばれや!』って言ってくれて、いろんな人を紹介してもらえたんですよ。その人がまた別の人を紹介してくれて…って感じの繰り返しで次々と繋がっていきました」
「いいなぁ。地元ならではのあたたかい人間関係!」
「最初は正直、赤字でいいやって思ってたんですよ。ちょっとだけ協賛してもらって、必要な金額の一部だけでも支払いに充てられたらってくらいで。でも最終的に印刷代は、みなさんのおかげでペイできましたね」
配布場所を確保するために用意したPV
「フリーペーパーの肝は配布場所ですが、その営業活動も大変だったんじゃないですか?」
「それはもちろん『ONLY FREE PAPER』からですね。あとは東京でよく遊びに行っていたショップにいくつか持って行って。ストリートカルチャーの方面から攻めていきました。で、こっちも協賛の時みたいに、一人が誰かを紹介してくれて、その人がまた別の人を教えてくれてって感じで輪が広がっていきました」
「やっぱりここでも人の輪が重要だったと」
「直接行けないようなところに関しては、第参号の制作時に鶴と亀のPVを作ったんで、メールにYouTubeのURLを載せて見てもらいました。このPVの反響が良かったんですよね。PVを観た人から『おもしろいことしてるね~』って言ってもらえてすごく嬉しかったです」
「田舎のお婆ちゃんが原付に乗ってるだけの映像なのに、『震える手』『漏れる尿』『飛び出す入れ歯』っていうキャッチコピーとヒップホップの音の掛け合わせでシュールに仕上がってますよね」
「実は狙いがあって。設置場所として選んだお店の人からしたら、『フリーペーパーを作ったんで置いてください』なんて言ってくる人はめちゃめちゃ多いじゃないですか。その中で鶴と亀がいかに埋もれず、どう差別化を図っていくかっていうことを考えてPVを作ったんです。その結果、紹介してくれる人が増えて、フリーペーパーを取り扱っている世界で存在が知られるようになった印象があります」
「いわゆるメディア系や出版系のウケがすごいいいですよね。まさに口コミで広がったというか。僕もその流れで鶴と亀の存在を知りましたし」
「僕らは飯山市に居たので、そういうの全然知らなくて。田舎と東京ではやっぱりラグがあるじゃないですか? だから最初は自分たちへの評価が信じられなかったんですよね。東京に行くたびに自分たちのことを知ってくれてる人が多くなってて、びっくりしてます。ホントかよー!?って(笑)」
「東京での評価が上がれば、地元の人たちの反応も変わってきたんじゃないですか?」
「それはそうなんですけど、地元の友だちの間では変な噂を立てられたりして…」
「え、そうなんですか」
「ずっと家にこもって作業してるから、あいつはおかしくなったんじゃないかとか。あと、お婆ちゃんを抱いてるんじゃないかとか」
「(爆笑)。たしかにお婆ちゃんのあの素敵な表情を引き出すには、抱くしかないんじゃないかっていうのはわかる気がします」
「抱いてないですから! あの表情を引き出せたのは、昔から婆ちゃんっ子だったっていうのが大きいです。お爺ちゃんお婆ちゃんのことが好きだから話してる。好きだから写真を撮ってるって、そういう自然な部分はすごい大事だと思います」
「鶴と亀」流のお爺ちゃん、お婆ちゃんの写真撮影方法
「なるほど、それは大きいでしょうね。ちなみにお爺ちゃんお婆ちゃんって、写真を嫌がるみたいなイメージがあるんですがそのあたりは大丈夫でしたか?」
「もちろんありますね。声をかけたら、最初の一回はほぼ確実に断られるんですよ。お年寄りを狙った詐欺とかも最近あるじゃないですか。だから婆ちゃんを撮ろうとして声をかけたら、その旦那さんが出てきて『おまえら何やってんだ』って怒鳴られたり」
「わー、それはヘコむ。断られてからはどんな感じで説得するんですか?」
「もう絶対無理そうだなってときはすぐに諦めます。そもそも僕らは爺ちゃん、婆ちゃんたちに喜んでもらいたくてやってますし、嫌がってる人を撮るっていうのは僕らがしたいことではないのかなって。ちょっと恥ずかしがってるだけみたいな雰囲気だったら、『ばあちゃみたいな良いモデル他にいねで』とか『じいちゃすげぇ貫禄あるね! いくつ?』とか、撮りたいんだ!って思いをグイグイアピールします」
「ああ、なるほど。やり続けるうちにナンパ師みたいなコツが生まれてきそう」
「それはありますね。声をかけるコツとしては、いきなり『写真を撮らせてください』だと向こうも警戒するんで。『草刈りしてるんかえ?』とか『今日暑いから熱中症気をつけらし』って感じで普通にお喋りしてから、『写真撮らせてもらってもいいかえ』って」
「ほほー、なるほど」
「あとは服装も気取った格好じゃなくて、僕が家で農作業する時のツナギで行くようにしてます。そしたら向こうから『あれ? JA(全国農業協同組合連合会)の人かい?』って声かけてくれたりするんですよ」
「へえええ。やっぱりおしゃれな格好だと『この都会モンが』みたいになるんですかね」
「かもしれないですね。あと長靴履いてるだけで全然違いますよ。僕、家ではちゃんと農作業をやってるんで、長靴にも良い感じで泥がついてて。それだけでかなり喋りやすくなるんです。ほら、おしゃれは足元からって感じで。リアルでしょう」
「実際に家で農作業してるんだから、そりゃリアルでしょうね(笑)。警戒心を解くには地元のスタイルに合わせると。アフリカの少数民族を撮り続けている写真家のヨシダナギさんも、現地の人と同じ格好をするみたいなので真理なのかもしれない」
「そうやって声をかけてOKをもらってからが勝負ですね」
「ここでようやくスタート地点って大変だな〜! でも、そのテクニックがあればナンパしても成功するんじゃないですか?」
「実は第弐号の配布直後に挑戦したことがあるんですよね。東京の国立駅周辺で配布したいお店をまわっていたら三軒連続で閉まっちゃっていて。時間もエネルギーも余っていたので、人生初の単独ナンパを全然人がいない国立駅でやったんですよ」
「それは気になる話!」
「そうしたら最初に声をかけた女の子が、たまたま上京したばかりの子で。『このあたりで美味しいご飯屋さん知りませんか?』って聞いたら同じ境遇ということがわかって意気投合したんです。そのままご飯を一緒に食べながら身の上話をしていたんですが…」
「ゴクリッ」
「急にその子が地元を思い出して少し泣いちゃったんですよ。大好きなお婆ちゃんの話とか。僕もお婆ちゃんっ子じゃないですか。その話を聞いた途端に僕のなかのお婆ちゃんスイッチがONになってしまって下心が一気に消えちゃったんですよ」
「えー! お婆ちゃんスイッチの効果絶大!」
「その経験以来、下心で動いてもダメだなって悟りを開きました(笑)」
「まだ24歳なのに…」
続きは後編で
あまりに長くなってきたので続きは後編(近日公開予定)で!
「鶴と亀」のことが気になった人は最寄りのお店を調べて取りに行ってみてはいかがでしょうか。また、神楽坂の「かもめブックス」では第壱号+第弐号+第参号+未公開写真の合本「鶴と亀 特別号」(フルカラー96ページ B5版 価格=税別2,300円)を販売中! 在庫無くなり終了なのでお早めに。
●最新情報はこちら
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公式サイト
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書いた人:徳谷 柿次郎
ジモコロ編集長。大阪出身の33歳。バーグハンバーグバーグではメディア事業部長という役職でお茶汲みをしている。趣味は「日本語ラップ」「漫画」「プロレス」「コーヒー」「登山」など。顎関節症、胃弱、痔持ちと食のシルクロードが地獄に陥っている。 Twitter:@kakijiro / Facebook:kakijiro916